8/30 公開プレゼンテーション
- 概要
- 参加予定講評者
- アクセス
- 提案作品講評会
- 現地説明・調査
- 座談会
- 記念講演会
建築学生ワークショップ
高野山2015
- 開催の経緯
- 目的
- テーマ
- スケジュール
- 参加者募集
今年度の募集は締切りました
Architectural Workshop Koyasan 2015 DOCUMENT BOOK | |
8/30(日) 公開プレゼンテーション | ||
8/30(日) 公開プレゼンテーションを行いました。 講評者の先生方には、学生たちが制作したフォリーを現地で体感いただき、講評していただきました。
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group 1 根本大塔と向き合うためのフォリー | group 2 つみかさなるもの | |
group 3 PRIMITIVE FORMS 自然の表情 | group 4 うつし絵 | |
group 5 hazama ‒過去でもなく、未来でもないもの ‒ | group 6 あまのしるべ | |
group 7 七重心 | group 8 高野山のGestalt(カタチ) | |
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審査の結果、最優秀賞、優秀賞、特別賞が決められ、賞状とトロフィーが授与されました。
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【参加予定講評者】 近畿ニ府四県で教鞭を執られ日本を代表するプロフェッサー・アーキテクトと、世界の構造研究を担い、大学で教鞭を執られるストラクチャー・エンジニアです。また現在、第一線で活躍をされている、若手の建築家や構造家にも参加いただきます。 |
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【アクセス】 路線図のダウンロードはこちら ※ 高野山へは、なんば駅から特急こうやで約90分(急行約110分)。 南海高野線 極楽橋駅で乗り換えて、ケーブルカーで高野山駅へ。(所要時間は目安です。) 〈京都からお越しの方〉 〈東京からお越しの方〉 ※ 新大阪駅から なんば駅まで約14分 大阪市営地下鉄御堂筋線天王寺またはなかもず行に乗り、なんば駅下車。南海電車に乗り換えて高野山へ。 ※ 大阪(伊丹)空港から なんばまで空港バスで約30分 大阪(伊丹)空港からなんば/OCAT(JR難波)行空港バスに乗り、なんば下車。 〈関西国際空港からお越しの方〉 ※ 関西空港から天下茶屋まで特急ラピートで約34分 1.関西空港から南海線特急ラピートなんば行に乗り、天下茶屋駅で南海高野線に乗り換え、特急こうやなどで高野山へ。 2.関西空港から空港急行なんば行、または普通なんば行(泉佐野乗り換え)ご利用のうえ、天下茶屋から特急こうやなどで高野山へ。 〈高野山案内マップ〉 PDFダウンロードはこちら 〈高野山バス路線〉 PDFダウンロードはこちら 【お問い合わせ】 特定非営利活動法人アートアンドアーキテクトフェスタ(NPO/AAF) 担当:松本ガートナー E-mail:info@aaf.ac |
【開催の経緯】 建築ワークショップとは、建築や環境デザイン等の分野を専攻する学生がキャンパスを離れ、国内外にて活躍中の建築家を中心とした講師陣の指導のもと、その場所における社会的な実作品をつくりあげることを目的としています。2001年度から始まったこのワークショップは過去に山添村(奈良県)・天川村(奈良県)・丹後半島(京都府)・沖島(滋賀県)などの関西近郊の各地で行われ、それぞれの過疎化した地域を対象に提案を行い、市や村の支援を得ながら、有意義な成果を残してきました。 第10回目の開催となった2010年度より、新たに今までの取り組み方とは志向を変え、一般社会にも投げかけてゆけるようなイベント型の催しになっていくことを目指し、「平城遷都1300年祭」の事業として、世界文化遺産(考古遺跡としては日本初)にも指定されている奈良・平城宮跡で開催しました。続く、2011年度は滋賀・琵琶湖にうかぶ竹生島(名勝史跡)にて開催。このような特殊な環境において、地元の建築士、工務店の方々に工法を教えていただきながら、原寸の空間体験ができる小さな建築物の実制作を行い、地域協力のもと、船上にて一般市民を招いた公開プレゼンテーションを行う等、これまでにない新たな試みを実施しました。 |
【開催目的】 1.学生のための発表の場をつくる 学内での研究活動が主体となっている学生にとって、一般市民に開かれた公開プレゼンテーションを行うこと自体が非常に貴重な体験となります。また、現在建築界で活躍する建築家を多数ゲスト講師に迎えることで、質の高い講評を参加者は受けることができます。また、ワークショップ終了後の会場での展示や、会期報告としてホームページや冊子の作成を行い、ワークショップの効果がさらに継続されるような仕組みをつくります。 2.教育・研究活動の新たなモデルケースをつくる 海外での教育経験のある講師を招聘する等、国際的な観点から建築や環境に対する教育活動を行うワークショップとして、国内では他に類を見ない貴重な教育の場を設けます。また、行政や教育機関の連携事業として開催することで、国内外から注目される教育・研究活動として、質の高いワークショップをつくることを目指します。 3.地球環境に対する若い世代の意識を育む 現在、関西地方には、世界に誇る貴重な文化遺産を有する京都や奈良、琵琶湖や紀伊半島の雄大な自然など、豊かな環境が数多く残っています。しかしながら、近年の社会経済活動は環境への負荷を増大させ、歴史的に価値の高い環境をも脅かすまでに至っています。このワークショップでは一人一人が地域環境の特殊性、有限性を深く認識し、今後の建築設計活動において環境への配慮を高めていくと同時に、地球環境の保全に貢献していくことをねらいとしています。次世代を担う学生たちが、具体的な経験を通して環境に対する意識を育むことは、環境と建築が共存できる未来へと、着実につながるのではないかと考えます。 4.地域との継続的な交流をはかる 歴史、文化、自然が一体となって残る地域の特色を生かしたプログラムを主軸に、特殊な地域環境や、住民との交流によって生み出される制作体験を目的としています。各地域には、それぞれの土地で積み重ねてきた歴史や文化、風土があり、短期間のイベントであればそれらを深く知ることはできませんが、数ヶ月にわたる継続的な活動を前提として取り組むことで、より具体的な提案や制作によって、地域に還元していくことができると考えています。 |
"今、建築の、原初の、聖地から" | ||
その場所のもつ歴史や意味、地形や風の流れといった文脈を読むことを始点として建築はつくられていきます。つまり建築をするという行為の原点には、「場」を読み解く力こそが始まりであり、最も重要なことだといえます。これを国内でもまれに見る森林空間と古来の伝統的建築様式を今に伝える聖地高野山で学ぶことは、建築の道を歩み始めた、次の日本を背負う学生にとっては大切なことであり、これから建築をつくる揺るぎない基軸ともなっていくことだと感じています。 高野山1200年の歴史の中で培われてきた人間のちから。その霊場のもつ自然のちから。平安時代より弘法大師空海が修行の場として開いた高野山の世界に身を置き、その歴史を読み解いていく。その過程で全国から集まった学生はもちろん、地域の方々をはじめ、世界中からの来訪者の方々と共に読み解いていく。普段、学内の似通った価値観の中で学んでいる建築を学ぶ大学生にとって、大変貴重な経験を世界的文化遺産の地「高野山」で取り組む機会としてゆきたいのです。 高野山に、全国で建築を学ぶ大学生が集まり、過去1200年に渡って受け継がれてきた歴史を、現代の問題とともに未来へとつなげていくために、「今、この場所から」伝えていくべきことを、それぞれが真剣に考え、原寸大の空間として表現します。総本山金剛峯寺を中心とする区域において、作品を展示することで、訪れた人が中に入り、心を落ち着かせ、歴史と対話することができる、小さな建築空間を1日だけ創出します。 将来を担う学生たちが今という時代に向き合い、この場所でできることに全力で取り組むことで、「今、この場所から」世界に向けたメッセージを発信していきます。学生たちはきっと、その若い感性によって新たな発見をし、未来を創造する提案をしてくれることでしょう。 |
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【建築学生ワークショップとは】 建築ワークショップは、建築や環境デザイン等の分野を専攻する大学生を対象にした、普段の大学生活では体験できないスケールで作品制作を行う地域滞在型のワークショップです。国内外にて活躍中の建築家を中心とした講師陣の指導のもと、開催地の歴史や地域環境を研究しながら、他大学生との交流の中でその場所における社会的な実作品をつくりあげる経験を目的としています。 |
【スケジュール】 5月21日(木) 5月22日(金) 5月31日(日)23:59必着 7月4日(土) 8月1日(土)〜 2日(日) 1日(土) 2日(日) 8月3日(月)〜 8月31日(月) 8月25日(火)〜 31日(月)(6泊7日) 25日(火) 26日(水)〜 29日(土) 30日(日) 31日(月) |
参加説明会開催(東京大学) 参加説明会開催(京都大学) 参加者募集締切(参加者決定) 現地説明・調査 提案作品講評会(1泊2日) 提案作品講評会 制作打ち合わせ (具体的な発注と手配) 各グループ課題の制作 合宿にて原寸制作ファイナル(6泊7日) 現地集合・資材搬入・制作段取り 原寸模型制作(実質4日間) 公開プレゼンテーション 清掃・解散 |
【制作内容】 |
8/1(土)・2(日) 提案作品講評会
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7/4(土) 現地説明・調査
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【開催記念 説明会・講演会】 ワークショップの参加募集の説明会と開催を記念して、活躍中の建築家が自身の学生時代の体験を通して、 現在の作品にどう影響していったのかをレクチュアしていただきました。 |
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座談会 | 高野山の歴史や文化、そしてこれからの環境について 本多友常(摂南大学教授・和歌山大学名誉教授)× 森本一彦(高野山大学准教授)× 平沼孝啓(建築家) |
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――― 全国の学生が参加するこの建築学生ワークショップは、関西圏で開催地を変えながら開催していきます。歴史遺産とされる場所で開催することにより、建築や芸術、デザインを学ぶ若い世代が、特性をはっきりと持つ場所でしか体験できない貴重な経験を通じて、場所のコンテクストからの建築の解き方を深めていくきっかけをつくっていきたいと思っています。
そして今年は、日本の仏教の中心に位置する高野山という特殊な場所の魅力にひかれて、開催地として希望をしました。この場所の特性を用いるため、大きく分けて「歴史」「場所性(地形)」「現代の問題」の観点から提案の端緒を探りながら、ワークショップ開催の意義についてお伺いしたいと思います。
今日は、和歌山大学で長らく教鞭を執られた和歌山大学名誉教授の本多先生、高野山大学で密教文化・民俗・社会学の教鞭と執られている森本先生、そしてこの建築ワークショップのオーガナイザーとしての役割を担ってくださっています、建築家の平沼先生にお話しをお聞きしながら、今年の高野山でのワークショップ開催についてお聞きします。 平沼:僕からはじまりの質問として、弘法大師空海による開創1200年になる今年、高野山でこのような建築学生ワークショップが開催されることは、とても貴重な機会だと感じています。そしてこの地に存在する、織田信長や武田信玄など、歴史的な人物の墓石が多いのは、敵も味方も隔てない仏教思想「怨親(おんしん)平等」が根付いているからだとお聞きしたことがあります。 まずは、この高野山という現代にまで続く聖地のような場所がもたらした思想の背景にある、この地に暮らした人たちの生活背景はどのようなものだったのでしょうか。 森本:高野山は、今は街になっていますが、もともとは修行の場でした。紀伊半島の真ん中という絶妙の場所にあり、明治になるまでは、女性が入ることのできなかった聖域でした。真言密教の聖地だと言われますが、民間信仰のレヴェルで言えば、山岳信仰の拠点であり、霊が登る山として山中他界の信仰があり、かなり神秘性をもたった場所だと思います。それから西国三十三所巡礼の番外であり、四国八十八所遍路を回り終わった後に高野山に参詣します。修験道の本拠地でもあり、山伏が行き来する場所でもあります。高野山は、宗教のクロスする場所でもあり、すごく深い意味を持ったところだと理解いただきたいと思います。 本多:現在、高野山は今お話しをいただいたように、宗教の中心地であるということですが、観光地の一つでもあり、既に一つの街が出来上がっています。しかし山内のほとんどの土地は金剛峯寺さんによって所有されており、一番肝心なのは、ここは儀式の場として組立てられた境内まちであることです。根本的には儀式を執り行うために街が組み立てられてきた。私たち庶民から見ると、まちづくりの観点から地域環境を読み解いていくことが一般的な所作となりますが、ここではまちづくりとは切り離された聖域として、空間編成がされているわけです。 地形的に言いますと、一般的な市街地は山に囲まれて、盆地のような平らな部分に発生するのが普通ですけれども、高野山の場合は山上に開かれています。このようにユニークな空間構成を背景として受け継がれてきた町の空気に触れて、学生の皆さん達がどのように触発されるか、そこが非常に興味深いところです。 森本先生も、まちづくりの観点で、いろいろなご研究をされていますね。この地の特殊解と一般解のギャップ、ものの見方をお聞かせいただけると面白いかなと思っています。 森本:高野山は、修行の場所として発展しており、山に囲まれて聖域が成立しています。八葉って言うのですが、八つの蓮の葉のように、周りを八つの山に囲まれています。弘法大師の時代には、一般の方は住んでいなかったのだと思います。寺のお手伝いをする方はいたと思いますが、参詣者が増えた戦国期以降、江戸時代に入ってからお店ができて、今の風景の原型になるようなものができてきたと思います。お寺の軒先を借りて商売をする絵が残っています。女人禁制のために男の人しか登れないために、山内では家族を構成していませんでした。明治ぐらいまでは麓から通いで来ていたという話も聞きます。弘法大師以来の修行の場としての寺院の配置と、江戸時代から発展してくる商家、町家のまちづくりという2系統が併存していたということです。明治になって、もともとあった2,000程のお寺を合併して、現在の120程になります。今でも、お寺の看板に3つくらいの寺の名前が書かれていることがあります。明治以降に土地割りもずいぶん変わっているようです。 本多:商家の方々をはじめ、山内に住んでいらっしゃる方々は、高野山真言宗総本山金剛峯寺から土地を借りているわけですね。つまりまちの成り立ちは、本山に寄り添う形で発展してきたともいえます。それで、一つの金剛峯寺山としてふさわしい場所となるようなものしか認められないということがあるんです。逆に言うと、いわゆる自由経済的な状況下で生活環境が形成されているかというと、少し違うところもあるわけです。 高野山の山内空間の変容は、「高野山開創記念大法会」と「弘法大師入定御遠忌」のふたつの法要を節目として約25年ごとに変化し続けてきました。近代の変遷を見ると、明治政府発足以降領地返上により特権が取り上げられ、維新による疲弊の時代を経験しています。それでも信仰の力は強く、1050年の御遠忌を経て今日に至っています。しかし明治21年には大火があり、寺院はもちろん会下を借りて商売をしていた人々の入れ替わりが生じました。その後復興に伴い世俗化も進行し、山内の風紀が乱れてきた。今の高野山大学がこの地に移転した経緯も、そこを再開発して軌道修正をする時代であったといえます。そのあと交通インフラが整備され、南海電車が極楽橋まで接続し、ケーブルカーが1930年に山上まで開通しました。このように開創法会と御遠忌の法要に向けて、その度に全国から膨大な人たちが集まる。それに合わせて街が変わってきているわけです。電車の後は車の社会となり、この1200年開創法会を迎えることになります。これを期に今まで街の真ん中を通っていた車道を迂回させるルートが実現されます。街の住民は、ことあるごとに交通渋滞に悩まされていた訳ですが、迂回路によって助かる面があると同時に、訪問者が減りはしないかとも心配しています。その点では今回の開創法会においても急激な変化の節目を迎えていることにもなります。 平沼:なるほど。こういう場所性の話でいくと、地域としては開いているんですよね。 本多:そうですね。山上平地に集結した寺院の独立性はありますが、外部に対して閉ざすような雰囲気は無いですね。それは色々な方々が昔からいっぱい出入りされた歴史を引き継いでいるからだと思います。今、高野山の人口は3,000人を切っていますが、参詣者、観光者の総数は年間120万人以上とも言われています。普段は信仰心を抱いていない方々でも、一度は行ってみたいという神秘性を備えた場所です。霊的なものが漂う雰囲気に満たされた場所性があるという事だと思います。 平沼:なるほど。僕がもう一つ知りたいのは、今までの歴史を次に繋いでいく時に、今高野山が抱えている問題点ってありますか。 森本:たくさんあります。時代に合わせて無計画に色々な事をやってきたという事です。景観条例は京都で有名ですけれど、実は高野町の景観条例はもっと徹底しています。ところが、それに則って実施されてない部分もあります。色んな考え方があり、都市に近づきたいという考え方もあります。学生さんも、5~6時に店が閉まるのは耐えられないので、24時間のコンビニも欲しいという意見もあります。そうすると高野山に世俗的なものが入ってきます。もう少し言うと、驚くようなものもあります。高野山大学に下には肉屋さんがあったりして、寛容性というのか、何でも取り込める要素をもっています。何を入れて何を入れないのかという問題を、金剛峯寺、お寺さん、行政あるいは街の人が、話し合っていく場が弱いのかもしれません。 平沼:世俗的なもの、僕も生活していたらコンビニも必要だなって思うのですが、霊的な場としての印象が薄くなるのは否めないですね。そのバランスとか観光都市としての役割の中で、どう解決していくのが良いでしょうか。 森本:全体的に「観光」に傾いているように感じます。今、和歌山県が観光を押し進めています。例えばWi-Fiの普及とか、免税店を増やすとかいう政策を推進しています。和歌山大学の観光学部をつくったことは、その象徴なのかもしれません。他の観光地、例えば和歌山県内では白浜などがありますが、高野山はやはり宗教を中心として考えるべきでしょう。あくまでもお参りしてもらう場であると思ってもらわないといけないと思いますが、その辺のコンセンサスが取れてないのが問題だと思います。 本多:難しい所ですね。いわゆる聖なる世界の裏には俗なる世界が貼り付いています。完全な宗教都市、宗教の地だけではいかない部分が存在します。都市、街のつくり方でも、表通りの背後に日常性を支える店舗が配列され、参詣に来た人達がハメを外す俗界も同時に存在していたことは否定できません。 元々女人禁制だったのですが、明治以降日露戦争で男手がいなくなる状況もあったらしく、時代の流れもあってその山規は解除されました。それでも実質的には女人禁制の状態は長く続いたようですが、今ではすっかり変わっています。このように見てくると高野山は不動の聖地にも見えますが、常に変化し続けてきたことがわかります。俗化する事によって聖性が失われる心配もありますが、今尚外国からの方々が来ても、神秘性を感じるものは失われていないようです。 私も昔は毎年冬の一番寒い時に宿坊を利用させていただきましたが、雪に閉ざされた縁に出て手水を使うときのしんしんとした寒さと月明かり、そういうもの全てにたいし日常とは違う感覚を受けていたことが脳裏に刻まれています。またそこで修行されている若い僧侶の方々にお世話をしていただく訳ですが、その姿を見せていただくだけでも、ありがたさを感じたものです。 森本:高野山は不思議な場所で、霧が多いんです。標高800mくらいなのに、すごく水が豊富です。川が流れていて、すごく霧が発生しやすい環境なのでしょう。ところが街中はなかなか霧が立ち籠めないのです。車で下に降りていくと、霧が立ち込めていることも多いんです。不思議な環境というか気候です。真言密教では、特に護摩を焚きます。それが祈祷であり修行でもあるのですが、煙がもんもんと立ち籠めて神秘的です。宿坊に泊まられたら、6時くらいから朝のお勤めがありますので、ぜひとも早起きをして参加してください。早朝から辛いですけれど、暗くてなんか自分が違う世界に来たのではないかという雰囲気の本堂でお勤めが行われます。普段は8時まで寝ている自分が6時に起きて、お経の意味が分からなくても、座ってお経を聞いているだけで、その時だけは自分がちょっと別の人間になった感じになります。宗教性というのはそんなところにあるのかなと思います。 本多:森本先生は富貴のご出身なんですね。 森本:そうですね。高野山の周辺は、急な傾斜地に立地する集落が多くあります。高野山は上にあって平地ですが、その谷筋などに、斜面に張りつくように位置しているところが多いのですが、富貴は割りと広い盆地になっています。高野山領だったので、高野山に米を送るとか、毎月野菜を奥の院や他のお寺に納める雑事(ぞうじ)登りという習慣があります。雑事は中世の税です。高野山では第一次産業は禁じられていました。ある書物には、下肥を使用する農業は汚れているので禁じると書いています。だから山上で農業をする事はできなかったのです。そうすると周辺の地域が高野山をサポートせざるを得なかったのです。米は当然ですが、宿坊で使っていた箸を削っていた村だとか、或いは位牌の型を作っていた村だとか、炭を作っていた村があったようです。それが一体となって高野山なのです。高野山だけでは存在し得ないし、お坊さんが修行に専念するためにはそういうサポートが必要だったのです。これは都市と地方の本来あるべき姿だと思います。 本多:そうですね。いろんな場所があっていろんな役割が分化されていたんですね。全体で、精神世界も含めて一つのバランスとれた社会が組み立てられていたという事ですね。 平沼:今回、WSを開催させてもらうにあたって、学生のみんなは現地に入り、ものをつくる使命があるんです。どういう事を手がかりにつくっていけばいいですか? 読み解き方とか、こういう事に着目してみれば、というところがあれば教えてください。 本多:既に現存している街とお寺の関係の中で、皆さんの作品が並べられる訳です。そうすると、場所に関係のないものが宇宙船のように着陸するのではなくて、その場において空間的な文脈を読み解くことが重要なことだろうと思います。さらに、街全体が境内です。門前町じゃなくて境内町ですから、内面性が露出した場の真只中に身を置く事になるわけです。そこに一般の私達にはすぐには読み解けない歴史的な意味合いが込められていると思いますが、知識や経験の深さとしてではなく、フレッシュな感覚でそこにあるものを素直に捉えてほしいと思います。 森本:歴史とかその場所の系譜に位置付けるということをしてほしいですね。 ――― このような場で建築をつくるっていう事は、建築家の方にとっても難しいことですよね。学生の特権でつくれるっていうことは、参加学生たちにとって一生のうちに二度とない経験ができる機会になると思います。小さなワークショップですけど、彼らが大人になった時に、こんなところでつくったと言えるようなものにできたらすごく素敵ですね。 本多:そうですね。この話を聞いていたときに、実はとても難しそうだなって思ったんですよ。実際にできるのだろうかって。そんなの金剛峯寺さんが許可してくれるのだろうかと思っていました。すごいですよね。 森本:世界遺産で作品を作れるのですから、すごいことですよね。 ――― たいへん貴重なお話しが聞けて、今日はどうもありがとうございました。この座談会を通じて、このワークショップが参加学生にとって、とても貴重で意義深いものになるような気がしています。そして将来、この場所で開催した意義につながっていくような提案作品を募りたいと思います。 (2015年4月 平沼孝啓建築研究所にて) |
聞き手:NPO│AAF(田中天・京都造形大学大学院) |
編集後記 2010年 平城宮跡(奈良)で開催をした時は、制作場所と設置場所が分離をした状態での合宿に挑みました。仮組みを行い設置する場所に運搬し組み立てるのですが、敷地のアンジュレーションを読み取らず、完全にフラットな状態だと思い込んだ私たちは、公開プレゼンテーションの当日の朝まで、夜通しかけて応力の「バランス」を体験で知ることになりました。竹生島(滋賀)は琵琶湖に浮かぶ島。島への渡航手段はもちろん船です。自然環境という関係性と地理的な位置づけを身体的に感じながらも、制作が天候に左右されてしまうため、穏やかに晴れることを祈る毎日。次第にこの島がもつ魅力に惹かれるようになり、琵琶湖の雄大な環境に囲まれ、古来より多くの人が祈りを捧げてきた地で、何としてでもこの小さな建築を実現したいという願いが日増しに強くなっていきました、参加メンバーの絆が深まり、最終の発表会では感極まり、多くの参加学生が泣き出していました。そんな、私の18才の頃の大きく大切な記憶を想い返していました。 |