9/20 公開プレゼンテーション
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実施制作打合せ
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- 現地説明会・調査
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- 記念講演会→中止
建築学生ワークショップ
東大寺2020
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今年度の募集は締切りました
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座 談 会 | “今、学問の、原初の、聖地から” 橋村公英 (華厳宗宗務長|東大寺執事長) |
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―――この建築学生ワークショップは、日本の貴重な聖地を巡りながら開催してきました。歴史の特性を現代にもはっきりと残す開催地でその周辺の生活文化を合わせた調査を始め、観光として訪れるだけでは知りえない街や地域との関わりを学び、建築を永年保全していく造り方、守り方の技にも触れ、現地合宿による制作を含めた体験から、神聖な場所の静粛な自然空間のコンテクストを見出し、現場で建築の解き方を探るきっかけを経験していきます。今回の開催地は、728年に建てられた金鍾山寺を源とした東大寺です。大和国の国分寺に充てられ、総国分寺的な役割を果たしたことから「華厳」をはじめ奈良時代に六宗の宗所(研究所)が設けられ、平安時代には、「天台」と「真言」の教学も盛んに研究されるようになった「八宗兼学」の学問寺となりました。つまり現代の総合大学の役目となり、わが国で伝えられてきた「学問の原初の聖地」である清らかな場に身を置き、この歴史環境を現代にも残す貴重なこの地で、全国から集まる建築学生が伝統的な構法に触れ、この場に位置づけられた建築の、現代の解釈を生み出します。このワークショップでは場所の特性を模索するため、大きく分けて「歴史」「場所性(地形)」「これから」の観点を提案に求めます。そのため開催の目標となるお言葉や意義について、この座談会でお伺いしたいと考えております。古代より現代に受け継がれてきた東大寺で、空間性へのテーマや実現へのコンセプトのヒントとなる話題を、どうか合わせてお聞かせください。 本日は開催地として多大なご尽力をくださいます東大寺にて、全国の参加学生に向けお導きくださる橋村執事長、そしてこの建築ワークショップを初年度から見守り続けてくださる東京大学の腰原先生、佐藤先生、そして毎年、私たちと併走してサポートをくださいます旭ビルウォールの櫻井社長と、オーガナイザーの役割を担い続けてくださいます建築家の平沼先生と共に、2020年東大寺開催に向けてお伺いしていきます。 平沼:この国で初めて「華厳経(けごんぎょう)」の講説が実施されたのが、「金鍾山寺(きんしょうさんじ)」の建立後の740年。 そして天平時代は華やかな時代であるとともに政変、干ばつ、飢饉、凶作、大地震、そして天然痘の流行で惨憺たる時代だったとも伝えられています。当時の聖武天皇はどのようにして、この場所に大仏建立という壮大な国家事業にふみきったのでしょうか。また、この地が神聖な場所となり、現代にも継いでこられた思想の背景を教えてください。 橋村:天平時代は、ユーラシア大陸において多彩な文化が交流し、とりわけインドに起こった仏教が我国に伝わって定着した時代です。つまりシルクロードがとても盛んだった時代ですね。一方、国内では政変や自然災害が起こり、さらには様々な文化と一緒に天然痘が持ち込まれた時代でした。天然痘の蔓延は朝廷の中枢にまで及び、藤原氏のトップたちが軒並み亡くなったこともあり、疫病というのが現代では想像できないほど恐れられた時代であったと思います。そのため、この事態をどのように治めるかが非常に大きな問題でした。 平沼:当時の町や暮らしの状況から、この地の生活文化と共に、守護的な役割として東大寺はつくられたのでしょうか。 佐藤:現在の航空写真を見るとこの辺りは発展した町のようですが、つくられた当時この辺り一帯は森だったということですか。 橋村:大仏殿のある場所を調べると、東側の山の斜面を崩して平坦に整地し、それを基礎にして大仏殿を建てています。また、平城京から見るとこの辺りは鬱蒼とした山の中だったようです。先立つ時代に、現在の法華堂から山に至る辺りを平城京から見ていると何か光が見えるというような話が広がり、そこで金鷲行者という者が修行していた、というような物語が伝えられています。ですから平城京から見ると、鬱蒼した森林の中で、神秘的で霊性に満ちた場所だったのだと思います。 佐藤:なるほど。東大寺がこの地に建てられた理由を教えてください。 橋村:聖武天皇が大仏様を造って大仏殿を建てるという詔を出されますが、当初の造営予定地は紫香楽だったのです。 橋村:はい、そうです。最初は紫香楽(今の「信楽」)で造営が始まりました。ところが造営の途中に、山火事や大きな地震がおこるなどして、紫香楽では工事が進められないということになりました。そして改めて、この奈良に大仏様を造る場所を求めました。ここは平城京の東北に位置していて、しかも大仏様と大仏殿を建てるだけの基礎となる地面を拓ける場所だったのだと思います。 佐藤:当時からそういった知識があったのかわかりませんが、山を削って平地をつくれそうな場所という地質の特性も、候補地となった理由だったのでしょうか。 腰原:この場所に大仏殿がつくられた理由が深くわかりました。配置についても教えてください。まず仏様は、なぜ南を向かれているのでしょうか。 橋村:仏様を安置するお堂は、明るい南面に開いて建てるという、古代寺院の基本的な建て方に習ったのだと思います。 腰原:顔が見える窓をつくるためといった意味で南に面しているのですか。 橋村:窓をつけるためにそういう建て方をしたというわけではありませんが、確かに大仏殿に観相窓という窓があります。相はお顔のことです。お顔を見ることができる窓が付いていますが、昼間に開けても見えないですね。 腰原:外が明るいからですね。 橋村:はい。夜、万灯供養会をするなどのために中に明かりを灯して開けると大仏殿の中門から綺麗に大仏様のお顔が見えるという造り方をしています。 腰原:それは仏様が外を見るためなのか、仏様のお顔を外より拝むための窓なのか、本来どちらが目的ですか。 橋村:大仏様をお堂の外から見るために観相窓は造られたと思います。 腰原:お堂に持つ僕らのイメージは、寒くて暗いというイメージです。自然の気候や風土に近い、寒さや暗さには何かの意味がありますか。それとも昔はお堂に人が入って拝むことがなかったので、お堂は仏様の建物という意識で人間が快適である必要はなかったのでしょうか。そう考えると最低限、護摩などを焚く時の明るさがあれば良いのですか? 橋村:奈良時代に大仏様が造られたとき、4月9日に開眼法要が行われましたが、元々4月8日の予定でした。9日になったのは聖武天皇の体調やお天気のこともあったのかもしれません。4月8日というのは日本ではお釈迦様が生まれられたと考えられている日なのです。お釈迦様がおられた時代というのは大仏様が造られた時代からさらに1200年余り前です。華厳宗では大仏様は「釈迦即毘盧遮那」と言い、お釈迦様はそのままに毘盧遮那仏(大仏様)だという意味で、「毘盧遮那(びるしゃな)」という名前には光り輝く人という意味があります。お釈迦様そのものであるという大仏様を造り、その開眼の時、誕生仏をお祀りし、まるで命のある仏様として生まれてこられたように開眼されたのでしょうね。大仏様を、仏像なのだけれどもお釈迦様から命の繋がるものとして開眼するという切な願いがそこに見て取れると思います。そういう願いの中で造られた仏様が、その建物の明るさや暗さや空間の力によって機能するような建物、というのが大仏殿のコンセプトだったのではないかと思います。 佐藤:この原寸制作を目的にした現地滞在型のワークショップでは、地産地消の自然素材を活かした構法やその地の伝統構法にも影響されながら、場所性に意味づくような新たな形を生み出すことを目標にしています。また扱いが難しい材料の性質を把握し、工夫を凝らした作品が今回も提案されると、参加した学生が自在に素材を扱う感覚を養えます。開催は約3ヵ月間に及びますが、実質5日間という短い施工組み立て期間で建てます。そういう感覚を養えるような提案として、今のお話から結びつくといいなと思います。 櫻井:今回の聖地には、鹿がいるのも特徴ですね。 橋村:私たちは植物性のものを食べてしまう動物と共存しています。 佐藤:和紙は食べるのですか? 橋村:食べます。一万円札は大好きです。 一同:(笑) 櫻井:これまでの開催を振り返ると、このワークショップで入賞した学生が特別優れた思いを持つのではなく、そこで悔しい思いをするとか、失敗したことで気づいた経験の方が、結果として貴重な体験をしていると学生も感じているようです。私も経験上、失敗をして気付けた人の方が強いような気がします。この開催地には、鹿がいるというのも一つの大きな要素ですね。高野山の開催では、ファイナル当日の早朝に大雨が降りまして、無残にも壊れる作品がありました。こういった修業の場は色々な事を教えてくれるものだと私はその時、正に学びました。東大寺開催でも、挑む学生に多くを学んでほしいと思います。 橋村:この近くに料理店を開かれた女性がおられます。元は庭師の方でして、数年前に大変美しい日本庭園を造られたのですが、鹿に食べられてしまいました。でも今年伺ったら、綺麗に花が咲いていました。現場環境と、失敗の経験の中で得るノウハウもあるのかもしれません。 佐藤:それを今回、どこかのチームが学んで、上手くコントロールすると素晴らしいですね。わざと置いて、食べられない部分と食べられる部分で空間が生まれていくような。 櫻井:それは面白いかもしれないですね。 平沼:平城京当時は、町と東大寺はどのような関係でしたか。特に二月堂は、地域の生活文化に上手く影響を与えていたように感じています。 橋村:そうですね。二月堂と大仏様は少し違いますね。二月堂は観音様の信仰が盛んで、奈良や周辺の地域と信仰を通して繋がっていた印象があります。「二月堂のお水取りが終わらないと春が来ない」といわれるように、個々の人々の暮らしや祈りと深くつながってきたと思います。 腰原:二月堂は、町や庶民の暮らしと関わりがあったとお聞きしましたが、逆に大仏殿は圧倒的に大きいものです。このワークショップでは、大きくても3㍍×3㍍×高さ3㍍ほどの建築を実現させます。大仏を含めて、圧倒的に大きいものの存在と、小さいものの存在というのは、概念という教えの中ではどのように位置づければよいでしょうか。 橋村:確かに大仏殿は圧倒的に大きいですね。答えになるのかどうか分かりませんが、「華厳経」に関わる教えの中に、「一即一切」という言葉があります。また「華厳経」の中にも「一微塵中に、世界あり」というような言葉が沢山出てきます。例えば、皮膚には毛がありますね。その小さな毛穴の中にさえ、無盡の世界・宇宙があるというようなことも説かれます。仏教では色々な物や事の関係を「縁起」といいます。例えば何か良いことをしました、あるいは悪いことをしました、それは様々な条件があるので予知はできないが未来に必ず何か結果を生みます。これは時間の縁起ですよね。けれども華厳経に関わる教えでは、例えば、中心と円周、建物なら一本の釘と家全体といった関係をも含め、物や事、理(ことわり)の世界に縁起という考えを広めてゆきます。非常に小さなものの中にも、極端に言えば宇宙全てが入っているということもいえます。逆に言うと、非常に大きなものであっても、それは時間や空間の両方の中で無限にある小さなものとの関わりの上、姿を現しているということになります。片方の大きなものだけ、ある片方の小さなものだけを見ようとするのではなくて、それぞれの中に縁起で繋がっている関係性を忘れないで両方を見ていきましょうという考え方が華厳経にはあります。 櫻井:では小屋でも大仏殿と戦えるかもしれないということですね(笑)。 平沼:お堂は増え続けているのですか? 橋村:東大寺は創建以後、罹災と復興を繰り返してきましたが、盛んな時代と比べれば何十分の一に、随分減っています。 平沼:減った理由は何でしょうか。 橋村:最近では、幕末維新の時にものすごく減りました。寺院を維持していくことができない社会環境になってしまい、たくさんの寺が取り畳まれてしまいました。正倉院周辺の芝生の場所も全部お寺でした。二月堂の裏参道の辺りや、山の中へ入って行く界隈も昔は全てお寺でした。 佐藤:町並みの様にお堂が並んでいた、まさに町のようですね。 櫻井:お話しをお聞きして御縁を感じるのですが、ワークショップ開催の来年、日本はオリンピックイヤーです。東大寺が天平時代に国際化が進んで、様々なものが融合して出来たという話を聞くと、来年のオリンピックイヤーにワークショップの開催をさせてもらえることの意味が、とても直接的に繋がる印象を持ちます。先ほど境内をご案内いただく時にも思ったのですが、外国人の方が相当多いですね。 橋村:大仏殿の前に大きな灯籠がありましたが、これ一つを見てもここには、多くの地域の造詣デザインが絡まり合っています。ペルシャやインド、ライオンや唐草模様までこの中に表現されています。奈良時代はそういった交流が非常に盛んな時代だったのでしょうね。 佐藤:その模様からも国際性を感じ、特徴を抽出するといったことを、このワークショップでも活かしてほしいです。 橋村:ミュージアムには奈良時代の展示品も多くありますが、シルクロードに想いを馳せるようなデザインも見つけることが出来ます。 平沼:最後にお聞かせください。建築家のフランク・ゲーリーさんが1989年、建築界のノーベル賞と称されるプリツカー賞の授賞式の際、平成元年に日本では初めてここ東大寺で開催されました。およそ30年の歳月を経て、令和となった年に、授与式が開催された大仏殿・東廻廊で、この開催の公開プレゼンテーションを予定させていただいています。学生らへ再現させてあげることは叶いますでしょうか。 橋村:はい。台風などが無ければ、是非その場所で開催していただければと思っています。 橋村:現在では、宗派はそれぞれ別々のものですよね。かつては、特に東大寺では、奈良時代には六宗、平安時代を経て八宗というように、色々な宗を一つの寺の中で自由に勉強できたのです。 佐藤:それは全国的に見て東大寺モデルが特徴的だったのでしょうか。 橋村:そういった教育施設を総合的に奈良時代、鎌倉時代に持っていたのが東大寺だということですね。 佐藤:そうすると総合大学のはしりということですね。 橋村:そうですね。古代の日本は、お釈迦様がおられた時代から1200年間に様々な形で説かれた仏教が全部一斉に入ってきた時代です。それらが整理されてきたのが奈良時代で、その様々な仏教の分野や付随する学問を総合的に学ぶことが出来たのが東大寺でした。 平沼:最後に橋村執事長から、東大寺にきて取り組む学生に向けて、メッセージをいただけないでしょうか。 橋村:大仏様も、生身のお釈迦様に模して称えるべき仏様としてお祀りされてきました。お堂というのはそのような佛像が、限りなく称える存在として安置されて機能する空間なのだと思います。そういう対象と繋がって行く空間が、現代の発想の中ではどのようなものかを見てみたい。 一同:最高に、難しいですね(笑)。 橋村:例えば仏像でも「慶派の仏像だ」、「阿弥陀さんだ」というように見ますよね。しかし皆さんも何かの拍子に、人の思考から見に行くのではなくて、「概念」なんてない時間に、何か「ある姿」が向こう側から立ち現われてくるという経験を持たれたことがありませんか。私は、仏師や建築家の作品を見ていて、この人もこれを見たのだな、という「ある姿」を感じることがあります。そういったこともこれから建築を目指される方にとって非常に大切だと思いますし、ワークショップで体験したいと思っていることの一つですね。 平沼:建築家のように見てくださっている。 一同:あはは。(笑) 櫻井:素晴らしいことです。 橋村:このような場所での制作から生まれる発想に出会えればうれしいと思っています。 平沼:本日は貴重なお話をありがとうございました。 一同:ありがとうございました! (平成31年4月24日 東大寺にて) 聞き手:原之園健作 (AAF│建築学生ワークショップ運営責任者 ) |
【開催の経緯】 建築ワークショップとは、建築や環境デザイン等の分野を専攻する学生がキャンパスを離れ、国内外にて活躍中の建築家を中心とした講師陣の指導のもと、その場所における場所性に根づいた実作品をつくりあげることを目的としてきました。2001年度から始まったこのワークショップは過去に山添村(奈良県)・天川村(奈良県)・丹後半島(京都府)・沖島(滋賀県)などの関西近郊の各地で行われ、それぞれの過疎化した地域を対象に提案し、市や街、村の支援を得ながら、有意義な成果を残してきました。 2015年は、開創法会1200年となる100年に1度の年に、高野山・金剛峯寺(世界文化遺産)との取り組みから、境内をはじめ周辺地区での開催をし、2016年には、昭和58年11月7日に聖地・キトラ古墳で、ファイバースコープによって北壁の玄武図が発見されてから30年を経て、公開される直前のキトラ古墳と国営飛鳥歴史公園の開演プレイベントとして、キトラ古墳の麓に小さな建築を8体実現。2017年には、国宝根本中堂「平成の大改修」始まりの年に、「古都京都の文化財」の一環としてユネスコの世界遺産に登録された、京都市と大津市にまたがる天台宗総本山・比叡山延暦寺にて開催。そして2018年には、天皇陛下生前退位をされる前年、満了する平成最後の夏に、伊勢にて開催。また2019年は、「平成の大遷宮」完遂の年に、出雲大社にて開催いたしました。 |
【開催目的】 |
“今、学問の、原初の、聖地から”古代より現代に受け継がれてきた、わが国を代表する神聖な場所において |
728年に創建された金鍾山寺を源とする東大寺は、総国分寺的な役割も果たしたことから「華厳」をはじめ奈良時代には仏教六宗の宗所(研究所)が設けられていました。そして平安時代には、「天台」と「真言」の教学も盛んに研究され、「八宗兼学」の学問寺と呼ばれるようになりました。つまり時代の総合大学の役目となり、わが国で伝えられてきた「学問の原初の聖地」ともいわれています。 歴史環境を現代にも残すこの場所で、全国から集まる学生らがこの伝統的な過程に触れ、この場に位置づけた建築の解釈を生む。普段、学内の似通った価値観の中で建築を学ぶ大学生にとって、大変貴重な経験を日本学問の原点である「東大寺」に関わる人々とともに取り組む機会としたいのです。東大寺を中心とする周辺区域において、大学生たちの作品を展示することで、訪れた人が中に入り、心を落ち着かせ、歴史と対話することができるような、小さな建築空間を1日だけ創出します。 将来を担う学生たちが今という時代に向き合い、この場所でできることに全力で取り組む。 |
【建築学生ワークショップとは】 建築ワークショップとは、建築や環境デザイン等の分野を専攻する学生がキャンパスを離れ、国内外にて活躍中の建築家を中心とした講師陣の指導のもと、その場所における場所性に根づいた実作品をつくりあげることを目的としてきました。2001年度から始まったこのワークショップは過去に山添村(奈良県)・天川村(奈良県)・丹後半島(京都府)・沖島(滋賀県)などの関西近郊の各地で行われ、それぞれの過疎化した地域を対象に提案し、市や街、村の支援を得ながら、有意義な成果を残してきました。 2015年は、開創法会1200年となる100年に1度の年に、高野山・金剛峯寺(世界文化遺産)との取り組みから、境内をはじめ周辺地区での開催をし、2016年には、昭和58年11月7日に聖地・キトラ古墳で、ファイバースコープによって北壁の玄武図が発見されてから30年を経て、公開される直前のキトラ古墳と国営飛鳥歴史公園の開演プレイベントとして、キトラ古墳の麓に小さな建築を8体実現。2017年には、国宝根本中堂「平成の大改修」始まりの年に、「古都京都の文化財」の一環としてユネスコの世界遺産に登録された、京都市と大津市にまたがる天台宗総本山・比叡山延暦寺にて開催。2018年は、天皇陛下生前退位をされる前年、満了する平成最後の夏に、伊勢にて開催。 2019年は、「平成の大遷宮」完遂の年に、出雲にて開催をいたしました。そして2020年は、平成元年国内初の「プリツカー賞受賞式」が行われた建築の聖地に於いて、開催から約30年を経て、東大寺大仏殿にて開催いたします。 このような日本における貴重でかけがえのない聖地における環境において、地元の建築士や施工者、大工や技師、職人の方々に古典的な工法を伝えていただきながら、日本を代表する建築エンジニアリング企業・日本を代表する組織設計事務所の方々や多くの施工会社の皆様、そして建築エンジニアリング企業の方たちによる技術者合宿指導により実制作を行い、地元・地域の多くの方たちによる協力のもと、原寸の空間体験ができる小さな建築物の実現と、一般者を招いた公開プレゼンテーションを行う等、これまでにない新たな試みを実施する『全国の大学生を中心とした合宿による地域滞在型の建築ワークショップ』です。 |
2019年度開催の様子(こちら → ) |
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