建築学生ワークショップ
宮島2022

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- 参加者募集


全国の大学生たちが小さな建築を、嚴島神社境内に8体実現。


参加募集パンフレット
(座談会)
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プレスリリース
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 2022年夏、現代に受け継がれてきた、わが国を代表する神社・嚴島神社神域にて、小さな建築空間を実現する建築学生ワークショップを開催します。嚴島神社は、593年海浜に社殿を創建したことに始まり、1168年平清盛により寝殿造りの大規模な社殿が整えられた聖地です。嚴島神社の大鳥居は1875年の建立から145年が経過し、令和元年6月より損傷や老朽化の修理が開始されています。伝統技術を含めた次の時代の建築を担う学生らが「令和の大改修の年」に、宮島に合宿にて建築の実現をいたします。将来を担う学生たちが今という時代に向き合い、この場所でできることに全力で取り組む。新たに建築空間の力を備えて「実際につくる」という取り組みは、大変貴重な試みです。学生たちはきっと、その若い感性によって新たな発見をし、未来を創造する提案をしてくれることでしょう。



【参加予定講評者】

建築・美術両分野を代表する評論家をはじめ、第一線で活躍をされている建築家や
世界の建築構造研究を担い教鞭を執られているストラクチャー・エンジニアによる講評。
また、近畿二府四県の大学で教鞭を執られ、日本を代表されるプロフェッサー・アーキテクトにご参加いただきます。

村上 徹   (建築家|広島工業大学 名誉教授)
谷尻 誠   (建築家|SUPPOSE DESIGN OFFICE 主宰)
前田 圭介 (建築家|広島工業大学 教授)
太田 伸之 (日本ファッションウィーク推進機構 実行委員長)
前田 浩智 (毎日新聞社 主筆)
建畠    (美術評論家|多摩美術大学 学長)
南條 史生 (美術評論家|森美術館 特別顧問)

五十嵐太郎 (建築史家・批評家|東北大学 教授)
倉方 俊輔 (建築史家|大阪市立大学 教授)
稲山 正弘 (構造家|東京大学 教授)
腰原 幹雄 (構造家|東京大学 教授)
櫻井 正幸 (旭ビルウォール 代表取締役 社長)
佐藤    (構造家|東京大学 准教授)
陶器 浩一 (構造家|滋賀県立大学 教授)

芦澤 竜一 (建築家|滋賀県立大学教授)
長田 直之 (建築家|奈良女子大学 准教授)
平田 晃久 (建築家|京都大学 教授)
平沼 孝啓 (建築家|平沼孝啓建築研究所 主宰)
藤本 壮介 (建築家|藤本壮介建築設計事務所 主宰)
安井 昇   (建築家|桜設計集団 代表)
安原    (建築家|東京大学 准教授)
山崎    (コミュニティデザイナー|慶應義塾大学 特別招聘教授)
山代    (建築家|芝浦工業大学 教授)
吉村 靖孝 (建築家|早稲田大学 教授)




【スケジュール】  
2020年
03月23日(月)
11月03日(火)

事業計画(草案)決定
座談会の開催
2021年
09月28日(火)

参加者募集開始(WEB公開)
2022年
01月04日(火)

プレスリリース配信
05月12日(木) 参加説明会開催(東京大学) 谷尻誠
05月19日(木) 参加説明会開催(京都大学) 前田圭介
05月20日(金)23:59必着 参加者募集締切(参加者決定)
06月11日(土) 現地説明会・調査
07月02日(土)午後予定 各班エスキース(東京会場・大阪会場)
07月16日(土)~ 17日(日) 提案作品講評会(1泊2日)
      16日(土)   提案作品講評会
      17日(日)   実施制作打合せ
07月18日(月)~08月22日(月) 各班・提案作品の制作
08月23日(火)~08月29日(月) 合宿にて原寸制作ファイナル(6泊7日)
     23日(火)   現地集合・資材搬入・制作段取り
     24日(水)~ 27日(土)   原寸模型制作(実質4日間)
     28日(日)   公開プレゼンテーション
     13日(月)   清掃・解散
 

【開催の経緯】

 建築ワークショップとは、建築や環境デザイン等の分野を専攻する学生がキャンパスを離れ、国内外にて活躍中の建築家を中心とした講師陣の指導のもと、その場所における場所性に根づいた実作品をつくりあげることを目的としてきました。2001年度から始まったこのワークショップは過去に山添村(奈良県)・天川村(奈良県)・丹後半島(京都府)・沖島(滋賀県)などの関西近郊の各地で行われ、それぞれの過疎化した地域を対象に提案し、市や街、村の支援を得ながら、有意義な成果を残してきました。

 第10回目の開催となった2010年度より、新たに今までの取り組み方の志向を変え、一般社会にも投げかけてゆけるような地元の方たちと共同開催での参加型の取り組みとなっていくことを目指し、「平城遷都1300年祭」の事業として、世界文化遺産(考古遺跡としては日本初)にも指定されている奈良・平城宮跡で開催しました。続く2011年度は滋賀・琵琶湖に浮かぶ「神の棲む島」竹生島(名勝史跡)にて、宝厳寺と都久夫須麻神社と共に開催。無人島とされている聖地に、地元周辺の方たちと汽船で通う取り組みを行いました。

 2015年は、開創法会1200年となる100年に1度の年に、高野山・金剛峯寺(世界文化遺産)との取り組みから、境内をはじめ周辺地区での開催をし、2016年には、昭和58年11月7日に聖地・キトラ古墳で、ファイバースコープによって北壁の玄武図が発見されてから30年を経て、公開される直前のキトラ古墳と国営飛鳥歴史公園の開演プレイベントとして、キトラ古墳の麓に小さな建築を8体実現。2017年には、国宝根本中堂「平成の大改修」始まりの年に、「古都京都の文化財」の一環としてユネスコの世界遺産に登録された、京都市と大津市にまたがる天台宗総本山・比叡山延暦寺にて開催。そして2018年には、天皇陛下生前退位をされる前年、満了する平成最後の夏に、伊勢にて開催。2019年は、「平成の大遷宮」完遂の年に、出雲大社にて開催。2020年には、国内初のプリツカー賞受賞式の聖地に於いて、東大寺にて開催いたしました。2021年は、鎮座百年を迎えた明治神宮にて開催(新型コロナ感染拡大の影響で合宿期間を2022年3月に延期)します。

 

【開催目的】
1.学生のための発表の場をつくる
 学内での研究活動が主体となっている学生にとって、一般市民に開かれた公開プレゼンテーションを行うこと自体が非常に貴重な体験となります。また、現在建築界で活躍する建築家を多数ゲスト講師に迎えることで、質の高い講評を参加者は受けることができます。また、ワークショップ終了後の会場での展示や、会期報告としてホームページや冊子の作成を行い、ワークショップの効果がさらに継続されるような仕組みをつくります。
2.教育・研究活動の新たなモデルケースをつくる
 海外での教育経験のある講師を招聘する等、国際的な観点から建築や環境に対する教育活動を行うワークショップとして、国内では他に類を見ない貴重な教育の場を設けます。また、行政や教育機関の連携事業として開催することで、国内外から注目される教育・研究活動として、質の高いワークショップをつくることを目指します。
3.地球環境に対する若い世代の意識を育む
 現在、関西地方には、世界に誇る貴重な文化遺産を有する京都や奈良、琵琶湖や紀伊半島の雄大な自然など、豊かな環境が数多く残っています。しかしながら、近年の社会経済活動は環境への負荷を増大させ、歴史的に価値の高い環境をも脅かすまでに至っています。このワークショップでは一人一人が地域環境の特殊性、有限性を深く認識し、今後の建築設計活動において環境への配慮を高めていくと同時に、地球環境の保全に貢献していくことをねらいとしています。次世代を担う学生たちが、具体的な経験を通して環境に対する意識を育むことは、環境と建築が共存できる未来へと、着実につながるのではないかと考えます。 4.地域との継続的な交流をはかる
 歴史、文化、自然が一体となって残る地域の特色を生かしたプログラムを主軸に、特殊な地域環境や、住民との交流によって生み出される制作体験を目的としています。各地域には、それぞれの土地で積み重ねてきた歴史や文化、風土があり、短期間のイベントであればそれらを深く知ることはできませんが、数ヶ月にわたる継続的な活動を前提として取り組むことで、より具体的な提案や制作によって、地域に還元していくことができると考えています。

“今、建築の、原初の、聖地から” 島の未来のために建築ができること


 その場所のもつ歴史や意味、地形や風の流れといった文脈を読むことを始点として建築はつくられていきます。つまり建築にとって「場」を読み解くことは始まりであり、最も重要なことといえます。これを学ぶことは建築の道を歩み始めた学生にとって大切であり、実地でなければ学び得ないことだと考えています。

 593年神の島に社殿を創建したことに始まり、1168年平清盛により寝殿造りの大規模な社殿が整えられました。現在、御本社・客神社・回廊など6棟が国宝に、11棟3基が重要文化財に指定されています。高舞台(国宝:附指定)は日本三舞台の1つに数えられるほか、海上に立つ高さ16mの大鳥居(重要文化財)は日本三大鳥居の1つです。嚴島神社の大鳥居は1875年の建立から145年が経過し、令和元年6月より損傷や老朽化の修理が開始されています。

 世界中から注目されている宮島の中心に、日本全国で建築を中心としたものづくりを学ぶ大学生、院生らが約1週間滞在し、長い歴史に受け継がれてきた学問の精神と技術を未来へとつなげていくために、「今、建築の、原初の、聖地から」伝えていくべきことをそれぞれが真剣に考え、原寸大の空間として表現します。境内を中心とする周辺区域において、大学生たちの作品を展示することで、訪れた人が中に入り、心を落ち着かせ、歴史と対話することができるような、小さな建築空間を1日だけ創出します。

 将来を担う学生たちが今という時代に向き合い、この場所でできることに全力で取り組む。参加学生たちがさまざまな歴史をもつ宮島の伝統を学び、この文化に位置づけた解釈を生み、嚴島神社に存在し続ける建築様式に連なり、訪れた人たちの心を落ち着かせ、祈りを捧げるような空間体験と提案の発表に、どうぞご期待ください。学生たちはきっと、その若い感性によって新たな発見をし、日本のナショナリティを未来へ継ぎ、創造する提案をしてくれることでしょう。

【建築学生ワークショップとは】

 建築ワークショップとは、建築や環境デザイン等の分野を専攻する学生がキャンパスを離れ、国内外にて活躍中の建築家を中心とした講師陣の指導のもと、その場所における場所性に根づいた実作品をつくりあげることを目的としてきました。2001年度から始まったこのワークショップは過去に山添村(奈良県)・天川村(奈良県)・丹後半島(京都府)・沖島(滋賀県)などの関西近郊の各地で行われ、それぞれの過疎化した地域を対象に提案し、市や街、村の支援を得ながら、有意義な成果を残してきました。

 第10回目の開催となった2010年度より、新たに今までの取り組み方の志向を変え、一般社会にも投げかけてゆけるような地元の方たちと共同開催での参加型の取り組みとなっていくことを目指し、「平城遷都1300年祭」の事業として、世界文化遺産(考古遺跡としては日本初)にも指定されている奈良・平城宮跡で開催しました。続く2011年度は滋賀・琵琶湖に浮かぶ「神の棲む島」竹生島(名勝史跡)にて、宝厳寺と都久夫須麻神社と共に開催。無人島とされている聖地に、地元周辺の方たちと汽船で通う取り組みを行いました。

 2015年は、開創法会1200年となる100年に1度の年に、高野山・金剛峯寺(世界文化遺産)との取り組みから、境内をはじめ周辺地区での開催をし、2016年には、昭和58年11月7日に聖地・キトラ古墳で、ファイバースコープによって北壁の玄武図が発見されてから30年を経て、公開される直前のキトラ古墳と国営飛鳥歴史公園の開演プレイベントとして、キトラ古墳の麓に小さな建築を8体実現。2017年には、国宝根本中堂「平成の大改修」始まりの年に、「古都京都の文化財」の一環としてユネスコの世界遺産に登録された、京都市と大津市にまたがる天台宗総本山・比叡山延暦寺にて開催。2018年は、天皇陛下生前退位をされる前年、満了する平成最後の夏に、伊勢にて開催。 2019年は、「平成の大遷宮」完遂の年に、出雲にて開催。そして2020年、世界中が影響を受けた情勢により、開催が危ぶまれましたが、約1300年、疫病の復興を願われて建立された盧舎那仏(大仏様)のお背中で、学問の原初の聖地、東大寺にて開催を果たし、2021年の開催は、鎮座百年を迎えた夏、明治神宮にて開催(新型コロナ感染拡大の影響で合宿期間を2022年3月に延期)を予定しています。

 このような日本における貴重でかけがえのない聖地における環境において、地元の建築士や施工者、大工や技師、職人の方々に古典的な工法を伝えていただきながら、日本を代表する建築エンジニアリング企業・日本を代表する組織設計事務所の方々や多くの施工会社の皆様、そして建築エンジニアリング企業の方たちによる技術者合宿指導により実制作を行い、地元・地域の多くの方たちによる協力のもと、原寸の空間体験ができる小さな建築物の実現と、一般者を招いた公開プレゼンテーションを行う等、これまでにない新たな試みを実施する『全国の大学生を中心とした合宿による地域滞在型の建築ワークショップ』です。

 
2020年度開催の様子(こちら → )
 



座 談 会 | “今、建築の、原初の、聖地から”  
建築学生ワークショップ宮島2022

野坂元明(嚴島神社宮司) ×中村靖富満(やまだ屋 代表取締役社長)
×佐々木雄三(広島県廿日市市議会|議長) ×藤井幹也(嚴島神社権禰宜) ×梅林保雄(宮島町商工会|会長)
× 腰原幹雄(構造家│東京大学生産技術研究所 教授)× 櫻井正幸(エンジニア|旭ビルウォール 代表取締役 社長)
× 佐藤淳(構造家│東京大学 准教授) × 平沼孝啓 (建築家│平沼孝啓建築研究所 主宰)


座談会の様子 (嚴島神社 海上社殿 朝座屋にて)






海上社殿


御本社


五重塔・千畳閣


境内視察

――― 全国の大学生が参加するこの建築学生ワークショップは、毎年、場所を移しながら開催してきました。歴史と場所の特性をはっきりと持つ開催地と、周辺の生活文化を合わせて調査することにより、街や地域との関わりや建築を保全していく造り方の技に触れ、制作を含めた実学として地域滞在を行い、神聖な場所の静粛な空間からコンテクストを見出し、現場で建築の解き方を探るきっかけを経験していきます。現在、嚴島神社の大鳥居は1875年の建立から145年が経過し、令和元年6月より損傷や老朽化の修理が開始されています。社殿は現在、御本社・客神社・回廊など6棟が国宝に、11棟3基が重要文化財に指定されています。平舞台(国宝:附指定)は日本三舞台の1つに数えられるほか、海上に立つ高さ16mの大鳥居(重要文化財)は日本三大鳥居の1つとなります。近現代における主要都市のまちづくりに欠かせない最も貴重となる「聖地」という歴史環境を現代にも残す清らかな場に身を置き、全国から集まる建築学生らがこの伝統的な構法に触れ、この場に位置づけた建築の解釈を生み出します。このワークショップでは場所の特性を用いるため、大きく分けて「歴史」「場所性(地形)」「近代の問題」の観点を提案に求めます。現代に受け継がれてきた嚴島神社で、空間性へのテーマや実現へのコンセプトのヒントとなる話題を、どうか併せてお聞かせください。

本日は開催地として多大なご尽力をくださいます嚴島神社にて、全国の参加学生に向けてお導きをくださる野坂宮司をはじめ、これまでこの開催実現へとご協力をくださっている宮島の皆さまにもご参加をいただきながら、この建築ワークショップを初年度から見守り続けてくださる、東京大学の腰原先生、佐藤先生、そして毎年、私たちと併走したサポートをくださいます、旭ビルウォールの櫻井社長と、オーガナイザーの役割を担い続けてくださいます、建築家の平沼先生と共に、「大鳥居・令和の大改修」完遂の年に合わせた宮島開催についてお伺いいたします。皆さま本日はどうぞよろしくお願いいたします。

平沼:593年に創建され1168年にこの大規模な社殿が整えられたと伝えられています。現代にまで続く聖地となり今もこれだけの方たちに受け継がれてきた思想と、宮島と周辺に暮らす方たちの生活文化やこの場所が選ばれた背景をお聞かせいただけませんでしょうか。

野坂:伝承によると、海で釣りをしていた土地の者に、御祭神がどこか良い所がないかという問いかけをされたそうです。そして、カラスの先導により島を見ながら廻られたのですが、その時点でこの島はもう選ばれていたと考えられます。この島自体が、神様のような存在なのですね。私がこういうことを言うのは変かもしれませんが、たまたまこの島が選ばれて、今のこの状態があるのだということかもしれません。ですから、仮にもう少し西に阿多田島がありますが、そこを神様が選ばれて神社が造られていたら、この島はただの普通の島だったと思います。

平沼:なるほど。当時の島の住民の生活文化はどのようなものだったのでしょうか?この大規模な社殿が造られた1160年頃にはもう町があったんでしょうか?

野坂:当時は一応、人は住んでないことになっています。入植はまだですね。社寺があるところには門前町が栄えていきます。だから先に神社があって、町が出来たのではないかと思います。

佐々木:観光課が1964年から統計を取られています。来島者は当初200万人ぐらいだったのですが、今年が多分過去最低になりそうです。平均しますと240-250万人程度、増加の追い風になったのは大河ドラマ、「新平家物語」の時に、270万人で、「毛利元就」も312万人くらい。それで過去最大の昨年は465万人ですね。1995年の阪神淡路大震災で一旦減少しましたが、次の年の1996年には宮島が世界文化遺産に登録され、翌年の1997年に毛利元就の大河ドラマが放映され一気に増えて、それからずっと順調に推移してきました。

腰原:明治の頃は、伊勢で作っている厳島錦帯橋マップというのがあって、やはり西に行くと厳島というイメージがあったみたいです。

野坂:参詣地として、そういう捉え方はされていましたが、神社にも昔は厳しい時がありまして、私の祖父の頃は運営がものすごく大変だったということをよく聞かされました。特に今のように交通網も発達していない頃の話です。

佐々木:昭和56年か57年くらいに、修学旅行先に宮島と平和公園が選ばれるようになりお越しになる方が増えたように思います。

平沼:しかし50万人を想定していたものが、460万人になると許容出来ないのではないかと思うのですが。

野坂:はっきり言って、去年はいわゆるオーバーツーリズム状態になりかけていたんだと思います。それは町の方々がご存知だと思います。

中村:公共施設を中心に、オーバーフローでした。トイレに行列ができたり、桟橋で船舶を待つお客様の列が建物の外までつながったこともありました。神社さんも、参拝されるお客様を整理されるのが随分ご苦労されたと思います。江戸時代から徐々に嚴島神社さんへの参拝のお客様が多くなられて、旅館や、飲食・遊興の施設などが徐々に出来てきました。明治に入ってからは船舶の会社が出来て便利になり、またお客さんが増えました。ちょうど日清戦争日露戦争の時に、全国から広島に兵隊さんが集められ、海軍は呉から、陸軍は宇品から大陸に向けて出兵していきました。その時に戦勝祈願に嚴島神社にお越しになられ、また戻ってこられたらお礼参りに来られるということに伴って参道のお土産物屋なども徐々に増えてきたということのようです。

佐藤:江戸時代から明治初期頃の行き来の仕方は渡しの小舟だったんですか?歩いて行けるような桟橋はなかったということですか?

佐々木:今の広島経済大学セミナーハウス「成風館」の前に大きな桟橋の名残があります。

中村:明治33年宮島渡航会社が設立されました。

佐々木:それまでは渡し船ですね。

中村:渡し船で広島の旦那衆が厳島詣をされ、商売繁盛や家内安全を祈願された後、島の中で精進落としと称していろいろな遊興にふけられた、そういう地域の成り立ちがあります。

腰原:神社としての船の入り口はどこにあったのでしょうか?

佐々木:おそらく大元神社のあたりですね。

腰原:儀式として偉い人が地位のある方々が来る時のルートはあったんでしょうか?

藤井:平清盛公の時代に、高倉上皇がいらっしゃっているのですが、その時は有之浦、今の石鳥居の向こうにまず船を着けられています。そこから社殿の西側に建てられた御所へ船で入られました。渚に廊を造って、船から直接その御所に入れるような形だったようです。そこから神社の北の浜を通って、現在の入口の方から建物に入られ、客神社、御本社の順にお参りをされたという記録が残っております。

佐藤:海や気象とお社に何か関係があったりしますか?海の生態系や、森の植物などとの関係の中で、普段なさっている工夫みたいなものはありますでしょうか?

腰原:満ち引きに対して、どう接しておられるのかとか。

野坂:自然の流れに任せています(笑)。現実的なお話をしますと、潮に冠水してしまうと参拝者の方の迎え入れができなくなるので、その間はしばらくお待ちいただいています。

佐藤:浸水した後には、何かされるのですか?

野坂:掃除します(笑)。

平沼:でも台風が直撃したら、絶対に被害を受けるような社殿ですよね?ですから、修繕を前提に作られていたりするのでしょうか?床板を見たら、やはり隙間を開けていますものね。

野坂:板に隙間を開けているのは、修繕を前提としながらも、被害を軽減させるための構造だと思います。潮が床より上がった際に、水圧を軽減させ、かつ水を抜きやすくするためのものです。

佐藤:しかし、濡れたり乾いたりを繰り返していると、ずっと浸っているよりも腐りやすいですよね。何か、こう対策を取られているかなと思ったのですが。

野坂:潮の浸水というよりは、キクイムシやフナクイムシの食害が多いのでその対策をしています。

佐藤:薬剤を含浸させたりということですか。

野坂:はい。今は合法的なものを注入して使っています。

腰原:災害に対して人間の知恵で対策するのが今の建築です。しかしこの立地条件になってくると、受け入れざるを得ない。それが教えなのかもしれないですが、そういう価値観というのはあるのでしょうか。

野坂:立地の環境は、受け入れざるを得ません。なされるがままですよ。

全員:ははは(笑)。

腰原:東日本大震災で考えると防波提を作って、波が来ないようにするというのが現在の価値観です。けれどこのまま、これだけ台風の被害を受けようが、こうあるべきだということで維持されていますよね。

野坂:それはやはり、国宝の指定、いわゆる指定建造物だからではないでしょうか。例えば、御本殿の周りに玉垣という塀がありますが、あれは控えの柱がただ土に入っているだけです。だから、猛烈な台風とかで抜けて傾く。修理して控え貫を入れたら抜けないのに、現状変更は認められません。

腰原:その辺りは僕たちの悩みでもあるんです。昔の人たちはどういう価値観で、建物をつくっているのか。もちろん安全にする仕組みを作りましょうということだったら、地面を掘って、潮に合わせて上下するようなシステムを作ればいいのかもしれませんが、やはり根底にある、こうあるべきだというか、こうありたいという考え方に基づいて気楽に、壊れたら壊れたで仕方ない、きちんと直そうということを繰り返すしかないわけですね。

平沼:宿命的というか、儚さをここに体験しに来ている気がします。

藤井:神道、神社というのは自然の営みの中にある信仰、日本人の伝統的な価値観の中にあるものですから、そこの自然環境に添って建物が造られてきたのだと思います。歴史を見ると例えば川の流れを変えてみたり、土石流の砂を使って松原や森を造成したり、建物の構造は大きく変えられることがありませんでしたが、社殿周辺の環境を変える防災としての営みというのはありました。ただ原則として、神域としての尊厳を保ち、自然と調和するように配慮した上での話だと思います。

平沼:大きな台風や高潮も含めて、太平洋戦争もあったと思いますが、いろいろな時代を超えてきて社殿がなくなったことはないんですか?

藤井:火災で二度全焼し、鎌倉時代に再建されたのが今の社殿の基です。社殿がなくなったことはありません。常に修復、再建を行いながら現在まで維持されてきました。

佐藤:先程の斜め柱のところ以外に、頻繁に壊れるところはありますか?

野坂:どうしても弱い部分というのが何箇所かあります。我々としては、壊れるというよりは傷むという考え方です。とにかく私たちの最大の使命は、今の社殿を同じ状態のままで後世に護り伝えるということですから、傷んだら常に修繕して行かなければなりません。

佐藤:鳥居の基礎はたくさんの松杭が刺さっていたとか、その中が空洞だったという話をお聞きしたのですが、木材が傷むことに対して工夫があったのかなあという気がしたのですが、壊れるのをそんなに補強せずに使っていくような維持の仕方をされているように聞こえました。

野坂:単純に財政的な問題だと思います。

平沼:二度焼失した時はどのように復興されたのですか?

藤井:当時の鎌倉幕府から、全て再建しなさいということでしたが、その期間が伸びてしまって、早く完了するよう再度の命令が出されて、ようやく造り終えられました。

櫻井:床に使っている木は何の木ですか?

野坂:今は松です。

藤井:基本的には地元にある木材を使うべきなのですが、時代と共にそれでは賄えなくなって、色々な所から集められています。

櫻井:昔台風の後に床板が取れたと聞きましたが。あえて浸水させるということでしょうか。

腰原:一応浮力がかからないように隙間が空いていて、浸水させてしまうということです。

佐藤:学生たちが8チームに分かれて構築物を考える時に、材料をいつも探して回るのですが、こちらで使っている材料を教えていただけますか?例えば、石垣だとか、海の堤防というか、構築物を積む時に積む石はどこの何石ですか?花崗岩ですかね。

佐々木:石なら大元神社のまわりにいくらでも、海の中でもありますね。

佐藤:直接的な関係としては、筏のようなものを浮かべてその上に学生たちが構築物をつくるという時に、筏を係留しておくために、石の重りを沈めておければ、係留しておけるたり、重石に使うというようなことも考えられるかなと思うんです。

腰原:そもそも境内という概念はどこにあるのかなと不思議に思っているのですが。

野坂:いわゆるお金をお預かりするようになった際に、入口は定めなければならなくなりましたが、神社の歴史の中で言うと最近のことです。それ以前は、極端な話どこから入られても、一切咎めないということでした。

腰原:本当はどこから入ると良いんでしょうか?子どもの時はどこから入るのが一番楽しかったですか?

野坂:子どもの時は海からでもどこからでも入りました(笑)。しかし、島の人は良くても島外から来た人は駄目というのは、今は通用しないですよね。ですからみんな平等に、同じように入ってくださいということにしています。そういう風にせざるを得ないと思います。

腰原:地域の方々は、神社をどのように見ていらっしゃるのでしょうか?

佐々木:やはり、島民全員が嚴島神社の氏子ですから、昔から神社が栄えることによって私たちも栄えるという観念を持っています。

佐藤:そもそも、どうして大鳥居が海の中に建てられたんですか?

野坂:もともとはあそこが参道で、船で参拝するのに・・・

佐々木:くぐって神社の西側にある洲などに船を着けていました。

中村:もともと島自体が神様なので、この神社も島の上ではなくて砂浜の上に建てられています。

野坂:明治神宮に行かれる時も2箇所か3箇所参入口がありますよね。それぞれ鳥居が立っていませんか?それと同じ解釈だと思います。動線ですね。動線を導くにあたってここから来てくださいと言う意味です。ここから先は心静かにと意味で鳥居を間際ではなくて離れたところに作ったという解釈です。

中村:島は神様なので、昔は農耕も禁じられていていました。神様の体に鍬をうつことになりますので。戦後に食料不足になって、島の両端に畑とかを作って農業しはじめたのですよね。

平沼:全国の学生たちが、建築を学び、造営や、修繕も修復も含めて繰り返している場所にやっぱり興味をもっています。若い人たちが嚴島神社のようなところに敬意を持って取り組んでくれると後に継いでいけるのではないかという思いで開催しています。

櫻井:今ちょうど、大鳥居の修復をされていますが、資料には過去にこんな修繕をして、実はそれが失敗だったからやり直したとかたくさん書いてあり、挑戦と失敗の歴史を結構持っているのだなと思ったのです。ここはやはり自然環境がすごいから戦わざるを得なくて、打たれたら次はもう一回同じ打たれ方はしないようにしてきたのかなと思いました。あの大鳥居の修復の歴史を少し見るだけでも僕は面白いと思いました。

腰原:大鳥居よりも床下を見たら、試行錯誤の形がありますね。

櫻井:ちょっと潜らせていただいたら?潮が引いている時は大丈夫ですよね?そういうのを見るとすごく勉強になるんです。東大寺の二月堂に行った時に、お水取りで、昔燃やしたことがあると聞きました、火事で燃えたそうです。ちょうど木目の間に挟まってくすぶっていた火が夜中になって急に燃え出した。火は動いていないといけない、止まった火が一番危険だという教えをずっとされているらしいんです。ここは水との戦いで、火の後に水だからすごく興味があります。

平沼:でも、僕たち立派な寺社に行きたいわけではなくて、建築を学んでいますから、建築の原初の場所を回っているようなつもりでいます。一緒になって開催をさせていただけるということで、本当に楽しみにしています。

櫻井:今年はコロナという100年に1回のことで、一瞬目の前が真っ暗になりました。でも新しい問題に出くわすと人間はすごく工夫するものです。この場所で鳥居や基礎をみんなで見てみると、建築をやっている人にとってたくさん新しい発見があり勉強になりました。

(令和2年11月3日 嚴島神社 海上社殿 朝座屋にて)

         
――― 大変貴重なお話をいただき、本日はどうもありがとうございました。将来、この場所で開催した意義に継いでいくような、提案作品を募りたいと思います。

聞き手:宮本勇哉 山本康揮 (AAF│建築学生ワークショップ2022運営責任者)


 

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