Architectural Workshop DAIGOJI 2024 DOCUMENT BOOK
建築学生ワークショップ醍醐寺2024 ドキュメントブック


版型: A4判 │ 頁数: 154頁(カラー106頁 モノクロ48頁)
©Satoshi Shigeta
2024年開催の聖地は京都・醍醐寺。全国から集った54名の大学生が、建築の実現化を図る。

定価: ¥1818(税別)  10月中旬発売

 

9/15(日) 公開プレゼンテーション

     
会場の様子    

計画地案内の様子

9/15(日) 公開プレゼンテーションを行いました。
会場には多くの方にお集まりいただきまして、誠にありがとうございました。

講評者の先生方には、学生たちが制作したフォリーを現地で体感いただき、講評していただきました。


group 1 自然 ―じねんー group 2  伝う
     
group 3 くう   group 4 むすび
     
group 5  うつろい   group 6 空感
     

group 7  泡沫

 

group 8 流るる

group 9  ハレ

 

group 10 うつり

 

質疑応答の様子

   

講評者の様子    


審査の結果、最優秀賞、優秀賞、特別賞が決定。賞状を授与しました。

最優秀賞: group 3 くう


優秀賞: group 7 泡沫             特別賞: group 5 うつろい


全国の大学生たちが小さな建築を、醍醐寺境内に10体実現。


チラシ
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参加募集パンフレット
(座談会)
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プレスリリース
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 2024年夏、現代に受け継がれてきた、古都・京都の基点となる、醍醐寺境内にて、小さな建築空間を実現する建築学生ワークショップを開催します。醍醐寺は、874年に、弘法大師(空海)の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音ならびに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山され、山深い醍醐山頂上一帯を「上醍醐」、山裾を「下醍醐」と称され、多くの修験者の霊場として発展してきた寺院です。伝統技術を含めた次の時代の建築を担う学生らが「開山より1150年」の年に、合宿にて建築の実現をいたします。将来を担う学生たちが今という時代に向き合い、この場所でできることに全力で取り組む。新たに建築空間の力を備えて「実際につくる」という取り組みは、大変貴重な試みです。学生たちはきっと、その若い感性によって新たな発見をし、未来を創造する提案をしてくれることでしょう。


【参加予定講評者】

建築・美術両分野を代表する評論家をはじめ、第一線で活躍をされている建築家や
世界の建築構造研究を担い教鞭を執られているストラクチャー・エンジニアによる講評。
また、近畿二府四県の大学で教鞭を執られ、日本を代表されるプロフェッサー・アーキテクトにご参加いただきます。

石川    (大阪・関西万博会場運営プロデューサー)
中島 さち子(大阪・関西万博テーマ事業プロデューサー)
太田 伸之 (日本ファッションウィーク推進機構 実行委員長)
前田 浩智 (毎日新聞社 主筆)
建畠    (美術評論家|埼玉県立近代美術館 館長)
南條 史生 (美術評論家|森美術館 特別顧問)

稲山 正弘 (構造家|東京大学 名誉教授)
倉方 俊輔 (建築史家|大阪公立大学 教授)
腰原 幹雄 (構造家|東京大学 教授)
櫻井 正幸 (旭ビルウォール 代表取締役 社長)
佐藤    (構造家|東京大学 准教授)
陶器 浩一 (構造家|滋賀県立大学 教授)

芦澤 竜一 (建築家|滋賀県立大学  教授)
遠藤 秀平 (建築家|遠藤秀平建築研究所 主宰)
竹原 義二 (建築家|関西大学 客員教授)
長田 直之 (建築家|奈良女子大学 教授)
平田 晃久 (建築家|京都大学 教授)
平沼 孝啓 (建築家|平沼孝啓建築研究所 主宰)
藤本 壮介 (建築家|藤本壮介建築設計事務所 主宰)
安井 昇   (建築家|桜設計集団 代表)
安原    (建築家|東京大学 准教授)
山崎 亮   (コミュニティデザイナー|関西学院大学 教授)
横山 俊祐 (建築家|大阪公立大学 客員教授)
吉村 靖孝 (建築家|早稲田大学 教授)




【スケジュール】  
2020年
10月30日(金)
2021年
11月23日(火)

事業計画(草案)決定

座談会の開催
2023年
10月14日(土)

参加者募集開始(WEB公開)
2024年
01月04日(水)

プレスリリース配信
04月09日(水) アドバイザー会議
05月09日(木) 参加説明会開催(東京大学) 吉村靖孝
05月16日(木) 参加説明会開催(京都大学) 佐藤淳
05月17日(金)23:59必着 参加者募集締切
06月08日(土) 現地説明会・調査
06月29日(土)午後予定 各班エスキース(東京会場・大阪会場)
07月13日(土)~ 14日(日) 提案作品講評会(1泊2日)
      13日(土)   提案作品講評会
      14日(日)   実施制作打合せ
07月15日(月)~09月09日(月) 各班・提案作品の制作
09月10日(火)~16日(月) 合宿にて原寸制作ファイナル(6泊7日)
     10日(火)   現地集合・資材搬入・制作段取り
     11日(水)~ 14日(土)   原寸模型制作(実質4日間)
     15日(日)   公開プレゼンテーション
     16日(月)   清掃・解散
 

【開催の経緯】

 建築ワークショップとは、建築や環境デザイン等の分野を専攻する学生がキャンパスを離れ、国内外にて活躍中の建築家を中心とした講師陣の指導のもと、その場所における場所性に根づいた実作品をつくりあげることを目的としてきました。2001年度から始まったこのワークショップは過去に山添村(奈良県)・天川村(奈良県)・丹後半島(京都府)・沖島(滋賀県)などの関西近郊の各地で行われ、それぞれの過疎化した地域を対象に提案し、市や街、村の支援を得ながら、有意義な成果を残してきました。

 第10回目の開催となった2010年度より、新たに今までの取り組み方の志向を変え、一般社会にも投げかけてゆけるような地元の方たちと共同開催での参加型の取り組みとなっていくことを目指し、「平城遷都1300年祭」の事業として、世界文化遺産(考古遺跡としては日本初)にも指定されている奈良・平城宮跡で開催しました。続く2011年度は滋賀・琵琶湖に浮かぶ「神の棲む島」竹生島(名勝史跡)にて、宝厳寺と都久夫須麻神社と共に開催。無人島とされている聖地に、地元周辺の方たちと汽船で通う取り組みを行いました。

 2015年は、開創法会1200年となる100年に1度の年に、高野山・金剛峯寺(世界文化遺産)との取り組みから、境内をはじめ周辺地区での開催をし、2016年には、昭和58年11月7日に聖地・キトラ古墳で、ファイバースコープによって北壁の玄武図が発見されてから30年を経て、公開される直前のキトラ古墳と国営飛鳥歴史公園の開演プレイベントとして、キトラ古墳の麓に小さな建築を8体実現。2017年には、国宝根本中堂「平成の大改修」始まりの年に、「古都京都の文化財」の一環としてユネスコの世界遺産に登録された、京都市と大津市にまたがる天台宗総本山・比叡山延暦寺にて開催。そして2018年には、天皇陛下生前退位をされる前年、満了する平成最後の夏に、伊勢にて開催。2019年は、「平成の大遷宮」完遂の年に、出雲大社にて開催。2020年には、国内初のプリツカー賞受賞式の聖地に於いて、東大寺にて開催いたしました。2021年は、鎮座百年を迎えた明治神宮にて開催(新型コロナ感染拡大の影響で合宿期間を2022年3月に延期)。2022年は、大鳥居・令和の大改修の年に、嚴島神社にて開催し、2023年は、弘法大師(空海)生誕1250年の年に、京都・仁和寺にて開催しました。

 

【開催目的】
1.学生のための発表の場をつくる
 学内での研究活動が主体となっている学生にとって、一般市民に開かれた公開プレゼンテーションを行うこと自体が非常に貴重な体験となります。また、現在建築界で活躍する建築家を多数ゲスト講師に迎えることで、質の高い講評を参加者は受けることができます。また、ワークショップ終了後の会場での展示や、会期報告としてホームページや冊子の作成を行い、ワークショップの効果がさらに継続されるような仕組みをつくります。
2.教育・研究活動の新たなモデルケースをつくる
 海外での教育経験のある講師を招聘する等、国際的な観点から建築や環境に対する教育活動を行うワークショップとして、国内では他に類を見ない貴重な教育の場を設けます。また、行政や教育機関の連携事業として開催することで、国内外から注目される教育・研究活動として、質の高いワークショップをつくることを目指します。
3.地球環境に対する若い世代の意識を育む
 現在、関西地方には、世界に誇る貴重な文化遺産を有する京都や奈良、琵琶湖や紀伊半島の雄大な自然など、豊かな環境が数多く残っています。しかしながら、近年の社会経済活動は環境への負荷を増大させ、歴史的に価値の高い環境をも脅かすまでに至っています。このワークショップでは一人一人が地域環境の特殊性、有限性を深く認識し、今後の建築設計活動において環境への配慮を高めていくと同時に、地球環境の保全に貢献していくことをねらいとしています。次世代を担う学生たちが、具体的な経験を通して環境に対する意識を育むことは、環境と建築が共存できる未来へと、着実につながるのではないかと考えます。 4.地域との継続的な交流をはかる
 歴史、文化、自然が一体となって残る地域の特色を生かしたプログラムを主軸に、特殊な地域環境や、住民との交流によって生み出される制作体験を目的としています。各地域には、それぞれの土地で積み重ねてきた歴史や文化、風土があり、短期間のイベントであればそれらを深く知ることはできませんが、数ヶ月にわたる継続的な活動を前提として取り組むことで、より具体的な提案や制作によって、地域に還元していくことができると考えています。

“今、建築の、原初の、聖地から” 古都の未来のために建築ができること


 その場所のもつ歴史や意味、地形や風の流れといった文脈を読むことを始点として建築はつくられていきます。つまり建築にとって「場」を読み解くことは始まりであり、最も重要なことといえます。これを学ぶことは建築の道を歩み始めた学生にとって大切であり、実地でなければ学び得ないことだと考えています。

 醍醐寺は、平安時代の初期となる874年に、弘法大師(空海)の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音ならびに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山され、山深い醍醐山頂上一帯を「上醍醐」、山裾を「下醍醐」と称され、密教寺院として法流の中心を担うと共に、多くの修験者の霊場としても発展してきました。200万坪におよぶ広大な境内地にそびえる国宝五重塔は、1,100年以上の時の流れを現代に語り伝えています。その他にも醍醐寺には、国宝6棟、重要文化財10棟を含む92棟の建造物の文化財を管理されております。さらに総床面積1千坪の霊宝館には、仏像、仏画を含む約15万点の寺宝を所蔵しておられます。また豊臣秀吉による「醍醐の花見」が行われた地としても知られ、近年では1994年に古都京都の文化財としてユネスコの「世界文化遺産」に登録されました。

 世界中の人々が訪れる京都の中心に、日本全国で建築を中心としたものづくりを学ぶ大学生、院生らが約1週間滞在し、長い歴史に受け継がれてきた学問の精神と技術を未来へとつなげていくために、「今、建築の、原初の、聖地から」伝えていくべきことをそれぞれが真剣に考え、原寸大の空間として表現します。境内を中心とする周辺区域において、大学生たちの作品を展示することで、訪れた人が中に入り、心を落ち着かせ、歴史と対話することができるような、小さな建築空間を1日だけ創出します。

 将来を担う学生たちが今という時代に向き合い、この場所でできることに全力で取り組む。参加学生たちがさまざまな歴史をもつ京都の伝統を学び、この文化に位置づけた解釈を生み、醍醐寺に存在し続ける建築様式に連なり、訪れた人たちの心を落ち着かせ、祈りを捧げるような空間体験と提案の発表に、どうぞご期待ください。学生たちはきっと、その若い感性によって新たな発見をし、日本のナショナリティを未来へ継ぎ、創造する提案をしてくれることでしょう。

【建築学生ワークショップとは】

 建築ワークショップとは、建築や環境デザイン等の分野を専攻する学生がキャンパスを離れ、国内外にて活躍中の建築家を中心とした講師陣の指導のもと、その場所における場所性に根づいた実作品をつくりあげることを目的としてきました。2001年度から始まったこのワークショップは過去に山添村(奈良県)・天川村(奈良県)・丹後半島(京都府)・沖島(滋賀県)などの関西近郊の各地で行われ、それぞれの過疎化した地域を対象に提案し、市や街、村の支援を得ながら、有意義な成果を残してきました。

 第10回目の開催となった2010年度より、新たに今までの取り組み方の志向を変え、一般社会にも投げかけてゆけるような地元の方たちと共同開催での参加型の取り組みとなっていくことを目指し、「平城遷都1300年祭」の事業として、世界文化遺産(考古遺跡としては日本初)にも指定されている奈良・平城宮跡で開催しました。続く2011年度は滋賀・琵琶湖に浮かぶ「神の棲む島」竹生島(名勝史跡)にて、宝厳寺と都久夫須麻神社と共に開催。無人島とされている聖地に、地元周辺の方たちと汽船で通う取り組みを行いました。

 2015年は、開創法会1200年となる100年に1度の年に、高野山・金剛峯寺(世界文化遺産)との取り組みから、境内をはじめ周辺地区での開催をし、2016年には、昭和58年11月7日に聖地・キトラ古墳で、ファイバースコープによって北壁の玄武図が発見されてから30年を経て、公開される直前のキトラ古墳と国営飛鳥歴史公園の開演プレイベントとして、キトラ古墳の麓に小さな建築を8体実現。2017年には、国宝根本中堂「平成の大改修」始まりの年に、「古都京都の文化財」の一環としてユネスコの世界遺産に登録された、京都市と大津市にまたがる天台宗総本山・比叡山延暦寺にて開催。2018年は、天皇陛下生前退位をされる前年、満了する平成最後の夏に、伊勢にて開催。 2019年は、「平成の大遷宮」完遂の年に、出雲にて開催。そして2020年、世界中が影響を受けた情勢により、開催が危ぶまれましたが、約1300年、疫病の復興を願われて建立された盧舎那仏(大仏様)のお背中で、学問の原初の聖地、東大寺にて開催を果たし、2021年は、鎮座百年を迎えた明治神宮にて開催(新型コロナ感染拡大の影響で合宿期間を2022年3月に延期)。2022年は、大鳥居・令和の大改修の年に、嚴島神社にて開催し、2023年は、弘法大師(空海)生誕1250年の年に、京都・仁和寺にて開催しました。

 このような日本における貴重でかけがえのない聖地における環境において、地元の建築士や施工者、大工や技師、職人の方々に古典的な工法を伝えていただきながら、日本を代表する建築エンジニアリング企業・日本を代表する組織設計事務所の方々や多くの施工会社の皆様、そして建築エンジニアリング企業の方たちによる技術者合宿指導により実制作を行い、地元・地域の多くの方たちによる協力のもと、原寸の空間体験ができる小さな建築物の実現と、一般者を招いた公開プレゼンテーションを行う等、これまでにない新たな試みを実施する『全国の大学生を中心とした合宿による地域滞在型の建築ワークショップ』です。

 
2023年度開催の様子(こちら → )
 


7/13(土) 提案作品講評会

1 泊 2 日にて「提案作品講評会」と「実施制作打合せ」による具体的な施工方法の検討会を開催しました。

1 日目には、各班より提案作品の発表を行い、技術者合宿指導の中心を担われる施工者代表者、そして、日本を代表される多くのプロフェッサー・アーキテクトや、ストラクチャー・エンジニアによる講評会を実施しました。 醍醐寺の仲田執行様、三好執行様もご参加くださいました。 
   
各班長への質疑応答
  アドバイザーの皆様への説明の様子
 
   
講評者の皆様
  アドバイザーの皆様
 
 

7/14(日) 実施制作打合せ

2日目には、各班の設計趣旨と、前日の講評結果を受け日本を代表する組織設計事務所、施工会社により技術指導をいただくため、多くの技術者をアドバイザーに迎え、各班の制作準備となる素材決定や加工方法、実制作の準備や発注、試作から完成に向けた具体的な施工方法の検討会を実施しました。前日から講評者の皆様も残ってくださり、ら再度練り直した案をクリティークしていただき、活発に議論を交わすことができました。 

   
1班への制作アドバイス
  2班の計画地での検討
 
   
3班へのクリティーク
  4班への制作アドバイス
 
   
5班への制作アドバイス
  6班へのクリティーク
 
   
7班の計画地での検討
  8班へのクリティーク
 
   
9班の計画地での検討
  10班へのクリティーク
 

6/29(土) 各班エスキース 東京会場(東京大学)&大阪会場(平沼孝啓建築研究所)

各班の作品のクオリティを高める目的で始まった取り組みとして「各班エスキース」を開催させていただきました。東は東京大学・生産技術研究所にて、腰原先生、櫻井社長、長田先生、安原先生、佐藤先生、吉村先生がご参加くださり、西は平沼孝啓建築研究所にて、陶器先生、片岡先生、平沼先生がご参加くださいました。会場間をskypeで中継し、先生方より、提案作品への貴重なご指導を賜りました。

 
 
東京会場の様子①
  大阪会場の様子①
 
東京会場の様子②
  大阪会場の様子②
 
東京会場の様子③
  大阪会場の様子③
 
東京会場の様子④
  大阪会場の様子④

6/8(土) 現地説明会・調査

 現地にて、各計画候補地の視察と調査を行い、課題テーマに対するコンセプトを発表しました。
 はじめに主催者より、開催概要、経緯、開催地の説明を行い、開催テーマを発表しました。醍醐寺執行仲田様にミニレクチャーをいただきました後、実際に境内をご案内いただき、境内の歴史・伽藍配置、年間を通してのおまつり・法要についてご教授いただきました。その後、現地視察を経て各班の計画地を決定しました。神聖な地において、何を表現し、伝えたいのか、そのための手法や方法を検討し、具体的な提案まで構想を進め、後半より駆けつけてくださいました、腰原先生、長田先生、佐藤先生、平沼先生をはじめとする構造家、建築家の皆様より、コンセプトワークをご指導いただきました。

集合写真
 
醍醐寺執行・仲田様によるミニレクチュア
  京都信用金庫理事長・榊田様よりご挨拶
 
仲田様による計画地(境内)ご案内
  正式参拝
 
現地説明会の様子
  各班のコンセプトメイキングの様子
 
各班のコンセプトメイキングの様子
  各班で決定したコンセプトの発表


【開催記念 説明会・講演会】
ワークショップの参加募集の説明会と、開催を記念して活躍中の建築家にレクチュアしていただきました。

東京会場 
東京大学(弥生キャンパス)

農学部
弥生講堂アネックス

東京メトロ南北線「東大前駅」徒歩3分
東京メトロ丸の内線・大江戸線「本郷三丁目駅」徒歩10分

5月9日(木)17:30-19:00(17:00開場)
入場無料|定員: 先着100名|要申込


基調講演 吉村靖孝(建築家)
1972年愛知県生まれ。97年早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。99年〜01年MVRDV在籍。05年吉村靖孝建築設計事務所設立。18年〜早稲田大学教授。 主な作品は、窓の家(2013)、中川政七商店旧社屋増築(2012)、鋸南の合宿所(2012)、中川政七商店新社屋(2010)、Nowhere but Sajima(2009)、ベイサイドマリーナホテル横浜(2009)等。主な受賞は、JCDデザインアワード大賞、日本建築学会作品選奨、吉岡賞ほか多数。主な著書「ビヘイヴィアとプロトコル」、「EX-CONTAINER」、「超合法建築図鑑」等。

 

●ひとことコメント 
講演の最後に、9年前まで一緒に早稲田大学で教鞭を取られていた石山修武先生が「建築家は大学の建築家教育の中では生まれない」というお話を紹介してくださった。また、ヴァルター・グロピウスは「学校教育でデザイナーをつくることは難しい。卒業してからの努力でデザイナーになるのである」と言っていたそうだ。「正直に言うと僕もどうかはわからない」と続けられ、「建築家が大学から生まれないことが本当だとするならばこのワークショップで大学を離れ、違った環境で学んできた人たちといろいろなことを共有しものづくりを体験できることはすごく大事な機会になるから、是非挑戦してみてほしい」と激励を頂いた。また東京大学の腰原幹雄先生からも「自分でできることはそれほど多くない、逆に人を頼っていかなければならないことが多いことに気づくことができるのもこのワークショップでの大事な体験である」と教えていただいた。そして、私たちAAFを率いて下さる平沼孝啓先生からは「多様化が謳われる時代の中で、様々なメディアから情報を通じて各大学の価値基準ができていくけれど、それらの価値を全て自分一人で網羅することはできない。同世代の人たちと異なる価値基準で意見を戦わせ切磋琢磨し、新たな価値を生み出していくための場がこのワークショップに存在する」とお話くださった。私自身も本ワークショップに学部一年生の時に参加した経験があるが、その後の大学生活はどこかぬるま湯に浸かっているような感覚が拭えなかった。それは守られた場所で自由に課題に取り組ませてもらっているようで、机の上や頭の中の自分の解釈だけで完結した不自由な枠組みの中で動いているだけだと気づくことができたからだろう。だからこそ、大学の外に出て実体験を積むことの大切さについて、実践者である講評者の先生方のお言葉から気づきを得て、是非この機会を掴んで欲しいと思う。

アートアンドアーキテクトフェスタ/奥西真夢(東京理科大学 修士2年) 杉田美咲(大阪公立大学 修士1年)

京都会場
京都大学(吉田キャンパス)
百周年時計台記念館
国際交流ホールIII

文学部 第3講義室
京阪本線「出町柳駅」徒歩10分
京都市営バス「京大正門前」または「百万遍」下車 徒歩10分

5月16日(木)18:30-20:00(18:00開場)
入場無料|定員: 先着100名|要申込


基調講演 佐藤淳(構造家)
1970 年愛知県生まれ。00 年佐藤淳構造設計事務所設立。東京大学准教授(AGC 寄付講座)。作品に「共愛学園前橋国際大学4号館 KYOAI COMMONS」「プロソリサーチセンター」「武蔵野美術大学美術館・図書館」「地域資源活用総合交流促進施設」 「ヴェネチアビエンナーレ2008」。著書に「佐藤淳構造設計事務所のアイテム」。建築家との協働で、数々の現代建築を新たな設計理念によって実現させてきた。

 

●ひとことコメント 
佐藤先生は高野山の金剛峰寺開催から長年この建築学生ワークショップの講評者としてお越しくださっている。建築学生ワークショップでは建たないフォリーを建てて回るという役割も担っていると、合宿中のリアルなお話を笑顔でご紹介してくださった。本ワークショップは、どんな人が集まっていて、どんな材料と道具があるのかというその場の状況を判断し、こんなものがつくれそうだ、このくらいの時間でできそうだということがイメージできるようになる活動であること、さらに、世界で頻繁に起こる災害の支援活動にもこのようなワークショップが役に立つことを願っていること、皆さんにもそういう意識を持ってほしいとお話くださった。どんなに素晴らしい図面を引けるようになっても学ぶことができない大切な何かに、本ワークショップでは出会うことができる。私は昨年の開催で、建築物は人を守るものであるが、同時に人を死なせてしまうものでもあるという、つくる責任についての場の空気を感じることができた。現地での佐藤先生の振る舞いはそこにいる誰よりも、大小問わず建築物をつくる責任を重く捉え、学生に伝えているように感じた。教室で建物に守られ座っていては気がつくことができないことがある。だからこそ、外へ出て身をもって体験し、身体全部で学びを得てほしい。

アートアンドアーキテクトフェスタ/森山舞優(京都橘大学3年)  杉田美咲(大阪公立大学 修士1年)


4/9(火) アドバイザー会議

全国から応募し選出される参加学生の決定に先立ち、建築や芸術、環境やデザインを学ぶ学生(学部生・院生)らの提案・制作の指導・補助、材料提供・手配、実施におけるアドバイザー(建築技術者)の皆様に実施の交流を促すため2021年度より設けましたこの集まりは、 近い将来、我が国の建築会を担う後進に向けて、実務経験豊富な建築技術者の皆様から指導を頂戴できる、貴重な機会を共有する目的。本開催に継続的な支援をくださる、エンジニアリング企業の旭ビルウォール代表の櫻井様が先頭に立ち、近畿を中心とする建築技術者の皆様と、開催全体のスケジュールと共有し、提案作品講評会(本年:7/13土曜日)と、翌日実施制作打ち合わせ(本年:7/14日曜日)に向けて、本年の開催が始動いたしました。

アドバイザー会議の様子

 
醍醐寺執行・仲田様よりご法話   醍醐寺執行・三好様より三宝院ご案内
 
境内(計画地)のご説明
  境内(計画地)のご案内
 
境内(計画地)のご説明   境内(計画地)のご案内
 
三好様より醍醐寺境内のご説明
  懇親会の様子

座 談 会 | ”開山より1150年”~古都の未来のために建築ができること  
建築学生ワークショップ醍醐寺2024

仲田順英(醍醐寺執行統括本部長) ×三好祥徳(醍醐寺執行法務部長)
×井垣貴子(一般社団法人醍醐寺未来創造機構 理事長)
× 腰原幹雄(構造家│東京大学生産技術研究所 教授) × 櫻井正幸(エンジニア|旭ビルウォール 代表取締役 社長)
× 藤本壮介(建築家|藤本壮介建築設計事務所 主宰)× 平沼孝啓 (建築家│平沼孝啓建築研究所 主宰)


座談会の様子 (醍醐寺 三宝院にて)






霊宝館外観


唐門


観音堂


境内見学の様子

――― 全国の大学生が参加するこの建築学生ワークショップは、毎年、場所を移しながら開催してきました。歴史と場所の特性をはっきりと持つ開催地で、周辺の生活文化を合わせて調査することにより、建築を保全していく造り方の技に触れ、制作を含めた実学として地域滞在を行い、神聖な場所の静粛な空間からコンテクストを見出し、建築の解き方を探るきっかけを経験していきます。醍醐寺は、平安時代の初期となる874年に、弘法大師(空海)の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音ならびに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山され、山深い醍醐山頂上一帯を「上醍醐」、山裾を「下醍醐」と称され、密教寺院として法流の中心を担うと共に、多くの修験者の霊場としても発展してきました。200万坪におよぶ広大な境内地にそびえる国宝五重塔は、1,100年以上の時の流れを現代に語り伝えています。その他にも醍醐寺には、国宝6棟、重要文化財10棟を含む92棟の建造物の文化財を管理されております。さらに総床面積1千坪の霊宝館には、仏像、仏画を含む約15万点の寺宝を所蔵しておられます。また豊臣秀吉による「醍醐の花見」が行われた地としても知られ、近年では1994年に古都京都の文化財としてユネスコの「世界文化遺産」に登録され、当時と同じ姿を現代に伝えています。近現代における主要都市のまちづくりに欠かせない最も貴重な「聖地」である清らかな場に身を置き、この伝統的な構法に触れ、この場所の特性を用いるため、大きく分けて「歴史」「場所性(地形)」「現代の問題」の観点から提案に求めます。

 本日は開催地として多大なご尽力をくださいます醍醐寺にて、全国の参加学生にむけて導きをくださる、仲田執行、三好執行、井垣様をはじめ、東京大学の腰原先生、毎年サポートをくださいます旭ビルウォールの櫻井社長、来年・関西万博を控えられた会場プロデューサーで建築家の藤本先生、オーガナイザーの役割を担い続けてくださいます、建築家の平沼先生という、当ノンプロフィットで活動を進める両代表にもご参加いただき、開山1150年に合わせた醍醐寺開催についてお伺いいたします。皆さま本日はどうぞよろしくお願いいたします。

平沼:この地は京都御所から東南方向にあり、古くから大和、今の奈良にありました、宇治の大嶺から北陸に至る幹線道路上にあったと聞きますが、この地が開山の地に選ばれた理由を教えてください。

仲田:聖宝様は色々な仏教を勉強したいと言う気持ちが強かったんです。奈良の南都六宗と呼ばれる哲学的な要素の強い仏教、いわゆる顕教にも興味をもたれ、三論や法相も勉強したくて東大寺にも行かれています。貞観寺というお寺が今の深草あたり、京都から少し南に外れた場所にあるのですが、「醍醐寺新要録」という醍醐寺の歴史が書いてある文書には、聖宝尊師が上醍醐の上に五色の雲がたなびくのを見て山に登ってみると湧水があり、そこにいた老人が飲むように勧められて飲んでみると非常に美味しく、これこそが醍醐味だと感じられ、その老人が実はそこの氏神様で、ここは神仏が集まる場所だから是非この地をあなたに授けましょうと仰ったという伝説が残っています。ここに真実が隠されていると思っておりまして私の想像では、ここは盆地なので、雲が雨上がりに立ち上り、虹、まさしく五色の雲がたなびくのですが、上醍醐は遠くからも見ても山の稜線が平になっている場所なのでまさに修行の場所、信仰を広める場所として良いところだなと思われたのではないかと思います。霊地としてはやはり良いお水がことも含め、条件が非常に揃っている場所がこの地なのだと思います。修行面、それから信仰面、また京都からもそこまで遠くない修行のお寺としたいという、色々な要素を兼ね備える場所がこの地だったのではないかと想像しております。

平沼:伽藍配置はどこからつくられているのですか。

仲田:上醍醐に今も醍醐水というお水が湧き出ています。はじめは上醍醐を中心として、醍醐天皇が勅願地にしてから、やはり京都に近いほうが良いのかその後、醍醐天皇のお子様たちが下伽藍を整えられ五重塔が建立された、951年前後に下伽藍が建って全体が整えられたとい記録が残っています。

平沼:素晴らしいですね。よくその時代に建立できたなと思いました。

仲田:今はもうあまり建物は残っていませんが、上醍醐からは実は大阪の海の方が見えるという環境ですので、密教の世界観からいうと非常に望ましい場所ではあったと思います。また、桜が綺麗なのは水が良いからだということも桜守さんが言っています。それから比較的、岩盤が固い。お寺はそういうところに建っており、だからこそ1100年残っているのだと思います。

腰原:密教は見られないように、奥まったところにできているイメージがありましたが上醍醐へ行くと、先ほど言われたように、すごく開けていますよね。

仲田:密教の教えには二面性があります。密教は秘密の教えと書きますが、これはあくまでも師匠から弟子に対して、その自分の持っている教えを1対1で教えるということで、秘密にするということではなく、「密に教える」ということなのです。一番誤解を招くのが英訳で「Secret Buddhism」というものですがそれは間違いです。器の水を1つもこぼすことなく、次の器に移すという教えが密教の基本であり、口伝、書くのではなく口から口へと伝えることが基本になっています。密教の中に真言宗がありますが、言葉をとても大切にしていて、言葉、音で伝えることを非常に大切にします。音を大切にするだけではなくて、五感や色彩なども非常に大切にしていますので密教寺院ってすごく派手なのです。

腰原:派手と言いますか、細かいというわけではないんでしょうか?

仲田:もちろん細かく1つ1つ密に伝えなければならないのですが、見た目の印象も非常に強く持たせることが真言宗、空海上人の教えの特徴です。この世に生きているということをとても大切にしなければいけないと、その表れとして、人の心を引き五感で受け止めるという側面があります。醍醐寺もそうですが、元々朱塗りで中は極彩色豊かに、非常に派手な夢の空間づくりをしているのが密教なのであり、心というのを一番上において、全てを統括しているということが密教の基本的な教えに繋がります。

藤本:初めて来たとき、単純に抽象的な心ではなくて身体全体と環境とが混然一体となって、周りの環境との関わりを濃い状態で体験させられたような、すごく強烈な印象を持ちました。

仲田:体で体感するということを聖宝様はすごく大切にしていらっしゃいました。上醍醐で顕教の哲学的な勉強をしておられたのですが、利便性を考えれば下醍醐につくった方がいいものをあえて山の上に顕教の道場をつくったことが、醍醐寺の重要なポイントだなと思います。人と人とが真剣に向き合うことを、修験道の中に求められたのですね。まさに藤本さんが仰った通りです。

櫻井:実はこの建築学生ワークショップに、最初は邪心と言いますか、会社の知名度を上げてリクルート活動に繋げようとかそんなことも考えて参加していたのですが、3-4年目くらいからだんだん邪心が消えてきまして、建築は人の命を預かるものですから、これから社会に出る人たちが間違えたことをしないように、人間性に良い影響が残る体験をさせてあげたいと思うようになりました。今は聖地の持っている力や自然の有難味を感じて、この業界を担う良い人材が育ってくれたら良いなと願って参加しています。

仲田:空海の教えに、まさに人の営みすべてが修行である、というのがございまして、出家をして修行してお経を唱えてということもそうですが、日々生きていくことが一番大切な修行だと仰っています。そこには俗っぽいこともありますが一つ一つを自分の中で浄化していくために仏の道があります。今は、仰る通り、どうやって次の世代に繋げるのかということを、歴史や伝統のある空間に身を置いて感じていただきたいと思っています。学生さんにはどんどん挑戦していただきたい。挑戦がないと次へ繋げられないですし、歴史や伝統の中にヒントがきっとあります。我々は先人への感謝の気持ちを持って次の世代へ繋ぐために存在しているのだと思います。その意味でこういう活動を行うことはすごく意義があると思います。逆にお寺や神社側が気付くことがあると思います。一般の方々や学生さんから学ぶことが本来、お寺や神社はたくさんないといけないのです。そこに気づけるかが修行だと思うので、今回はぜひ醍醐寺で修行している僧侶が、学生さんや皆さん方から何か学ぶ機会になれば良いなと思っております。

腰原:このワークショップのもう一つ重要な目的として、やはり建物というのはつくって終わりではなく、繕いながら維持し続けることが大事であることを伝えたいと思っています。今、建物が消耗品的につくられてしまっており、学生たちもあまり意識をすることがありません。代表として法隆寺のような伝統木造建築は、何もしないで1000何年も存在している訳ではありません。実際に保存や修復を続けている人の生の声を学生たちに聞いて貰って、自分達がこれからつくるものについてどう考えるのか、あるいは今ある建物をどうしていくのが良いかを考えて貰いたいというのがもう1つのテーマでもあります。醍醐寺では建物や災害も含めた自然との闘い方や共存について、宗教はどのような立ち位置を取られているのでしょうか。

仲田:この地を選んだということには、自然環境が色々な意味で整っている場所であり災害が少ないということも1つあったと思います。宗教というのは本来自然との闘いと調和だと思うんです。宗教というものが非常に大きな役割を果たして来たのは、人の歴史の中で技術が生まれたり、文化が生まれたり、伝統が生まれたりという人の営みを支えてきたこと。ですので元々の考え方があり、混ざり合って、新しいものが生まれてきて、それを大きく受け止められる受け皿でないとお寺はいけないのではないかと思っています。五重塔は何年かに一度解体修理、一回壊してもう一回作っています。それはやはり技術を継承していくためです。いろんな人の思いや技術をしっかり受け止め、次に繋げられる大きな器であることを、ずっと醍醐寺は大切にしてきたのかなと思います。損得ということではなくて、何か役に立って、そこの中からいろんな新しいものが生まれてくることが大切なのではないかと思っています。

腰原:守ろうとしている人たちは、守るということを頑固に変えないことだと思っている人たちが多いんです。

仲田:一代二代先くらいへ引き継いでいるものを守ることももちろん大切なのですが、もう少し広い範囲で前後のことも考えないと、本当は守れないと思います。一代二代くらいのことを守ろうと思うと、すごく保守的になると思います。今の若い人たちはびっくりするほどすごく保守的ですよね。

腰原:そうですね。自分が簡単に理解できる狭い範囲で考えてしまっているようです。

平沼:醍醐寺の五重塔はスカイツリーのモデルにもなっています。日本で一番美しいタワーと言われているこの塔がつくられた所縁について、また当時の建築の設置基準などについてお聞かせください。

仲田:ある程度ルールがあったと思います。もちろん天皇のお寺でしたので、国家規模でやっていた事業ではあると思うのですが・・・

平沼:太平洋戦争とか空襲、落雷も含めて焼失したことはないのですか?

仲田:1,100年経ちますが全く焼失していません。京都の町から離れていたことも幸運だったかもしれませんし、やはり不思議な空間ではあります。相輪が大きく本当にバランスがすごいです。下から見上げた美しさがまさに計算されているもので、京都で一番古い木造建築です。日本では古さ3番目、高さ3番目らしいです。でも美しさはナンバーワン。

腰原:今、新築で五重塔をつくろうとなると、必ず最初のモデルはここからなんです。この五重塔をどこから見るのが一番良いですか。

仲田:金堂の回廊から見る五重塔が結構好きですね。不思議なことに真っ直ぐな五重塔が見えるんです。どっしりした感じの五重塔、重厚感が感じられます。さすが、900、1,000年持っている建物なのだと感じることができます。昔の人の知恵で、周りの木を植える際、昔の木は五重塔へ向かって倒れないように根などをいろいろ考えて建物を傷つけないように木を植えているようです。

腰原:今回森を復活させようということについて、この山との関係などお考えになられているんでしょうか?

仲田:少し前までは、お寺として文化財を守ろうということばかり考えていたんです。けれどもう少し広く森を守ろうというように最近考え方を変えました。森をもっと潤滑して元気にすること。もちろん伐採もしなければならないし、間伐材の問題、木を育てそれを使って建物を建てることなども考えて、やはり文化財を守ろうという教えよりも、もっと大きい視点で醍醐寺を守っていこうということです。

腰原:この山の木で建物をつくろうと思うと、山にある太さにあった建物をつくろうという違う発想になります。未成熟な山からは小さい建物しかできない。または小さい部材しか出ないけど、知恵を使って大きい建物をつくりましょうということです。逆に成熟しすぎた山から太い木が出てくるので、太いまま使うはずがそれが崩れてしまっていて、太い木が出てきてもこれぐらいの建物をつくるためには太い木では扱いにくいので、わざと割って細かくして使いましょうという矛盾があったりするのです。建築に都合の良い木だけが使われるようになってしまっています。森を守るためには、その森にどういう木があって、その木を使ってお堂をつくるんだという逆の発想もあって良いのかなと思うし、昔はそうだったのではないかなと思います。

仲田:昔は遠くから運んで来ることができないために、次の建て替えのために森を育てて守るという意識もあったのではないかと思います。森林の専門の先生によると、醍醐寺の醍醐の森はお寺があったため、結構良く守られているそうです。森を元気にすることから文化財を守るというところへ結びつくと良いなと思っています。

藤本:森の話はすごく面白いなと思います。文化財単体ではなくてその周りの環境も含めて全体で考えていく。お互い依存しあって支え合うみたいな感じだと思うんです。森はそもそもそうですし、森と建物もそんな関係かなと思っています。先ほどの自然と共生するという話も言ってみれば自然がある程度建物にダメージを与えて、それを人間が直して、また自然にさらす。その中で直したり技術を継いでいく営みが起こってくるわけですよね。共存するというのは実はお互い少しずつ欠落しているものが、結構複雑に支え合いながら全体がきちんと保たれているみたいなことなのかなと思います。今の社会ってそれを許さないところがあると思うんです。少し欠落しているとダメだと。それぞれ独立して自立させようとするのですが、逆にそうすることで共存することの難しさが出てきてしまって、これがなかなか難しい問題だなと思っています。実は発想を逆にしてそれぞれ少しどこか抜けている方が良いのかもしれない。そうすると逆に支えあって、抜けているところを補うことで、全部がうまくいく。この五重塔はそれ自体はすごく綺麗なんですが、先ほどの話で、これつくろうという発想自体が過激すぎて逆にある種の欠落になっているわけですよね。どうやって支えるのか。斬新な発想というのも斬新すぎてその瞬間は常識からずれている状態なんですが、逆にそれをどう支えようかという、そういう発想が生まれてくるので、次の時代の共依存みたいなものを生み出していく。そのサイクルなのではないかと思いました。ですからその発想で小さな建築でもそうですし、それから社会の在り方とかコミュニケーションの在り方がそうなっていった方が幸せな気がするし、より持続していくような感じがします。万博のテーマに繋げると、命というのは結局はそうで、単独では絶対に存在できなくて、何らかの形で支えあったり依存したりしながら、全体でうまくいくようになっています。この醍醐寺の成り立ちは、まさに今過激に次の一手を打つことや、人と人との関係などが全部これからの社会像みたいもののすごく大きなヒントになっていくのではないかという気がしました。

平沼:醍醐桜、太閤桜について、秀吉が愛した桜についての所縁をお聞かせいただけたらなと思います。

仲田:醍醐寺に伝わっている古文書などから見ていくと、秀吉公はすごく人を愛する方で、恩義といったものをとても厚く思っていたようです。基本的に戦嫌いだったのではないかなと思います。秀吉公の周りにいた方は、みんなもともと貧しかったため、そういう人たちに良い暮らしをしてもらいたい、すごく喜んでもらいたかったのだと思います。もともと醍醐寺は、花の醍醐と言われているくらいですが、水が良く、桜も綺麗なのでしょう。秀吉公が太閤になれたのは、当時の関白であった二条昭実から譲ってもらったという経緯があり、当時の醍醐寺の座主「義演准后」は、昭実公の弟さまであり、二条家に対する恩をすごく感じてたのではないでしょうか。応仁の乱で焼けてしまい、二条家が座主を務めるお寺を復興したいと思ったのではないかとも考えられます。花見もしたいけれど復興もしたいということで、今ある金堂は今の和歌山県の湯浅から持ってきています。三宝院の御殿やお庭はお寺っぽくありませんが、それはやはりこの場所に来て頂きいろんな方に楽しんでもらうおうということなのだと思います。まさしく見せるためですね。シンボルタワーとして五重塔があったからこそ、金堂を持って来ようと思い、五重塔を山の上から見下ろして綺麗な花見をしたいと思って山の中腹にお茶屋をつくった。そういう意味でも五重塔が残っていたというのはすごく大きかったのかなと思います。その思いは実子の秀頼公が継いでいて、秀吉公がどういう思いだったのかということを、よく分かっていたのだと思います。花見が終わった後も復興をずっと秀頼公は続けて下さっています。実は醍醐寺には秀頼と書いてあるものも多いんです。西大門(仁王門)やいろいろなお道具もほとんど秀頼公によるものですし、上醍醐の復興を完成させたのも秀頼公です。桜はやはりその1つの象徴ですが、下から見た花見ではなく、上から見た花見でしたので、五重塔を中心に伽藍がどういう風に見えていたのかなと思うと、復活したら見てみたいと思います。今ならドローンを飛ばしたら見られるかもしれません。

腰原:このワークショップではものをつくる時に、テーマとして外から持ち込まないで、中にあるものでものをつくりましょうというのももう一つのテーマなんですが、山の木以外で自然材料で醍醐寺で使われているものというのは何かありますか?

仲田:岩がありますが固いです。竹は、筍とか、京都でもこの辺りでは有名で、名産だったのですが、台風で根こそぎ持ってかれたんです。今はちょうど竹林がなくなってしまっています。

櫻井:今SDGsだ、地球何とかだと言われていますが、環境保全するには信念がなければダメだし、信念を持つには先ほどおっしゃっていた信仰や感謝が無ければダメだということを学生に伝えていただけると、きっとここにある自然や、空気そのものへの感謝から本質に気付くのだと思うのです。人をつくるという観点から、視点を変えるとこういうことが起きる、変わるとこんなことが起こるということを是非熱く語って頂けたらありがたいと思います。人工知能などが出て来て、今の子供達は疎外感も感じているでしょうから、人間というのは本来クリエイティブな能力に加えて信仰心があるので、ワークショップを通してコンセプトの良し悪しだけではなく、その中にある信念が何だったのかというところまでフォーカスしていけると面白いと思っています。

(令和3年11月23日 醍醐寺 三宝院にて)

         
――― 大変貴重なお話をいただき、本日はどうもありがとうございました。将来、この場所で開催した意義に継いでいくような提案作品を募りたいと思います。

杉田美咲 (AAF│建築学生ワークショップ2024運営責任者)


 


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