Architectural Workshop NINNAJI 2023 DOCUMENT BOOK
建築学生ワークショップ仁和寺2023 ドキュメントブック


版型: A4判 │ 頁数: 148頁(カラー100頁 モノクロ48頁)
©Satoshi Shigeta
2023年開催の聖地は京都・仁和寺。全国から集った60名の大学生が、建築の実現化を図る。

定価: ¥1818(税別)  10月中旬発売

 

9/17(日) 公開プレゼンテーション

     
会場の様子    

計画地案内の様子

9/17(日) 公開プレゼンテーションを行いました。
会場には多くの方にお集まりいただきまして、誠にありがとうございました。

講評者の先生方には、学生たちが制作したフォリーを現地で体感いただき、講評していただきました。


group 1 千代の夢 group 2  かさなり
     
group 3 さとる   group 4 鏡心
     
group 5  わ   group 6 こゆるり
     

group 7  ゆかり

 

group 8 紡ぐ

group 9  滲静

 

group 10 X

 

質疑応答の様子

   

講評の様子    


審査の結果、最優秀賞、優秀賞、特別賞が決定。賞状を授与しました。

最優秀賞: group 5 わ


優秀賞: group 3 さとる             特別賞: group 6 こゆるり


全国の大学生たちが小さな建築を、仁和寺境内に10体実現。


チラシ
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参加募集パンフレット
(座談会)
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プレスリリース
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 2023年夏、現代に受け継がれてきた、古都・京都の基点となる、皇室とゆかりの深い寺「御室御所」(おむろごしょ)、仁和寺境内にて、小さな建築空間を実現する建築学生ワークショップを開催します。888年に建立された寺院・仁和寺は、皇室出身者が住職となる門跡寺院として幕末まで最高の格式を保たれ、現在の金堂はこの紫宸殿の遺構であり、近世寝殿造として最古の建造物であることから国宝に指定されています。さらに二王門や五重塔などの建造物も建立され、1646年に仁和寺は往事の姿に戻りました。現在、二王門など建造物十五棟(国宝一棟、重要文化財十四棟)が国の重要文化財として指定を受けています。伝統技術を含めた次の時代の建築を担う学生らが「弘法大師(空海)生誕1250年」の年に、合宿にて建築の実現をいたします。将来を担う学生たちが今という時代に向き合い、この場所でできることに全力で取り組む。新たに建築空間の力を備えて「実際につくる」という取り組みは、大変貴重な試みです。学生たちはきっと、その若い感性によって新たな発見をし、未来を創造する提案をしてくれることでしょう。



【参加予定講評者】

建築・美術両分野を代表する評論家をはじめ、第一線で活躍をされている建築家や
世界の建築構造研究を担い教鞭を執られているストラクチャー・エンジニアによる講評。
また、近畿二府四県の大学で教鞭を執られ、日本を代表されるプロフェッサー・アーキテクトにご参加いただきます。

石川    (大阪・関西万博会場運営プロデューサー)
太田 伸之 (日本ファッションウィーク推進機構 実行委員長)
前田 浩智 (毎日新聞社 主筆)
建畠    (美術評論家|埼玉県立近代美術館 館長)
南條 史生 (美術評論家|森美術館 特別顧問)

五十嵐太郎 (建築史家・批評家|東北大学 教授)
倉方 俊輔 (建築史家|大阪公立大学 教授)
腰原 幹雄 (構造家|東京大学 教授)
櫻井 正幸 (旭ビルウォール 代表取締役 社長)
佐藤    (構造家|東京大学 准教授)

陶器 浩一 (建築家|滋賀県立大学 教授)
芦澤 竜一 (建築家|滋賀県立大学 教授)
遠藤 秀平 (建築家|遠藤秀平建築研究所 主宰)
竹原 義二 (建築家|神戸芸術工科大学 客員教授)
長田 直之 (建築家|奈良女子大学 教授)
平田 晃久 (建築家|京都大学 教授)
平沼 孝啓 (建築家|平沼孝啓建築研究所 主宰)
藤本 壮介 (建築家|藤本壮介建築設計事務所 主宰)
安井 昇   (建築家|桜設計集団 代表)
安原    (建築家|東京大学 准教授)
横山 俊祐 (建築家|大阪公立大学 客員教授)
吉村 靖孝 (建築家|早稲田大学 教授)




【スケジュール】  
2020年
12月07日(月)
2021年
04月16日(金)

事業計画(草案)決定

座談会の開催
2022年
09月28日(水)

参加者募集開始(WEB公開)
2023年
01月03日(火)

プレスリリース配信
05月11日(木) 参加説明会開催(東京大学) 五十嵐太郎
05月16日(火) 参加説明会開催(京都大学) 平田晃久
05月19日(金)23:59必着 参加者募集締切
06月10日(土) 現地説明会・調査
07月01日(土)午後予定 各班エスキース(東京会場・大阪会場)
07月15日(土)~ 16日(日) 提案作品講評会(1泊2日)
      15日(土)   提案作品講評会
      16日(日)   実施制作打合せ
07月18日(月)~08月22日(月) 各班・提案作品の制作
09月12日(火)~18日(月) 合宿にて原寸制作ファイナル(6泊7日)
     12日(火)   現地集合・資材搬入・制作段取り
     13日(水)~ 16日(土)   原寸模型制作(実質4日間)
     17日(日)   公開プレゼンテーション
     18日(月)   清掃・解散
 

【開催の経緯】

 建築ワークショップとは、建築や環境デザイン等の分野を専攻する学生がキャンパスを離れ、国内外にて活躍中の建築家を中心とした講師陣の指導のもと、その場所における場所性に根づいた実作品をつくりあげることを目的としてきました。2001年度から始まったこのワークショップは過去に山添村(奈良県)・天川村(奈良県)・丹後半島(京都府)・沖島(滋賀県)などの関西近郊の各地で行われ、それぞれの過疎化した地域を対象に提案し、市や街、村の支援を得ながら、有意義な成果を残してきました。

 第10回目の開催となった2010年度より、新たに今までの取り組み方の志向を変え、一般社会にも投げかけてゆけるような地元の方たちと共同開催での参加型の取り組みとなっていくことを目指し、「平城遷都1300年祭」の事業として、世界文化遺産(考古遺跡としては日本初)にも指定されている奈良・平城宮跡で開催しました。続く2011年度は滋賀・琵琶湖に浮かぶ「神の棲む島」竹生島(名勝史跡)にて、宝厳寺と都久夫須麻神社と共に開催。無人島とされている聖地に、地元周辺の方たちと汽船で通う取り組みを行いました。

 2015年は、開創法会1200年となる100年に1度の年に、高野山・金剛峯寺(世界文化遺産)との取り組みから、境内をはじめ周辺地区での開催をし、2016年には、昭和58年11月7日に聖地・キトラ古墳で、ファイバースコープによって北壁の玄武図が発見されてから30年を経て、公開される直前のキトラ古墳と国営飛鳥歴史公園の開演プレイベントとして、キトラ古墳の麓に小さな建築を8体実現。2017年には、国宝根本中堂「平成の大改修」始まりの年に、「古都京都の文化財」の一環としてユネスコの世界遺産に登録された、京都市と大津市にまたがる天台宗総本山・比叡山延暦寺にて開催。そして2018年には、天皇陛下生前退位をされる前年、満了する平成最後の夏に、伊勢にて開催。2019年は、「平成の大遷宮」完遂の年に、出雲大社にて開催。2020年には、国内初のプリツカー賞受賞式の聖地に於いて、東大寺にて開催いたしました。2021年は、鎮座百年を迎えた明治神宮にて開催(新型コロナ感染拡大の影響で合宿期間を2022年3月に延期)。2022年は、大鳥居・令和の大改修の年に、嚴島神社にて開催しました。

 

【開催目的】
1.学生のための発表の場をつくる
 学内での研究活動が主体となっている学生にとって、一般市民に開かれた公開プレゼンテーションを行うこと自体が非常に貴重な体験となります。また、現在建築界で活躍する建築家を多数ゲスト講師に迎えることで、質の高い講評を参加者は受けることができます。また、ワークショップ終了後の会場での展示や、会期報告としてホームページや冊子の作成を行い、ワークショップの効果がさらに継続されるような仕組みをつくります。
2.教育・研究活動の新たなモデルケースをつくる
 海外での教育経験のある講師を招聘する等、国際的な観点から建築や環境に対する教育活動を行うワークショップとして、国内では他に類を見ない貴重な教育の場を設けます。また、行政や教育機関の連携事業として開催することで、国内外から注目される教育・研究活動として、質の高いワークショップをつくることを目指します。
3.地球環境に対する若い世代の意識を育む
 現在、関西地方には、世界に誇る貴重な文化遺産を有する京都や奈良、琵琶湖や紀伊半島の雄大な自然など、豊かな環境が数多く残っています。しかしながら、近年の社会経済活動は環境への負荷を増大させ、歴史的に価値の高い環境をも脅かすまでに至っています。このワークショップでは一人一人が地域環境の特殊性、有限性を深く認識し、今後の建築設計活動において環境への配慮を高めていくと同時に、地球環境の保全に貢献していくことをねらいとしています。次世代を担う学生たちが、具体的な経験を通して環境に対する意識を育むことは、環境と建築が共存できる未来へと、着実につながるのではないかと考えます。 4.地域との継続的な交流をはかる
 歴史、文化、自然が一体となって残る地域の特色を生かしたプログラムを主軸に、特殊な地域環境や、住民との交流によって生み出される制作体験を目的としています。各地域には、それぞれの土地で積み重ねてきた歴史や文化、風土があり、短期間のイベントであればそれらを深く知ることはできませんが、数ヶ月にわたる継続的な活動を前提として取り組むことで、より具体的な提案や制作によって、地域に還元していくことができると考えています。

“今、建築の、原初の、聖地から” 古都の未来のために建築ができること


 その場所のもつ歴史や意味、地形や風の流れといった文脈を読むことを始点として建築はつくられていきます。つまり建築にとって「場」を読み解くことは始まりであり、最も重要なことといえます。これを学ぶことは建築の道を歩み始めた学生にとって大切であり、実地でなければ学び得ないことだと考えています。

 888年に建立された寺院・仁和寺は、皇室出身者が住職となる門跡寺院として幕末まで最高の格式を保たれ、国内でもまれにみる皇室とゆかりの深い寺院です。仁和寺は創建~鎌倉期に隆盛を極めますが、1647年に始まった応仁・文明の乱で、本尊を安置する金堂を始め境内(伽藍)の建物のほとんどを兵火で焼失するという悲運に見舞われます。この応仁・文明の乱から約160年後の1634年に伽藍再興の機会が訪れます。さらに当時、御所の建て替え計画もあり、1613年に建立された御所の正殿・紫宸殿や台所門などが仁和寺に下賜される事になりました。現在の金堂はこの紫宸殿の遺構であり、近世寝殿造として最古の建造物であることから国宝に指定されています。さらに二王門や五重塔などの建造物も建立され、1646年に仁和寺は往事の姿に戻りました。現在、二王門など建造物十五棟(国宝一棟、重要文化財十四棟)が国の重要文化財として指定を受けています。

 世界中の人々が訪れる京都の中心に、日本全国で建築を中心としたものづくりを学ぶ大学生、院生らが約1週間滞在し、長い歴史に受け継がれてきた学問の精神と技術を未来へとつなげていくために、「今、建築の、原初の、聖地から」伝えていくべきことをそれぞれが真剣に考え、原寸大の空間として表現します。境内を中心とする周辺区域において、大学生たちの作品を展示することで、訪れた人が中に入り、心を落ち着かせ、歴史と対話することができるような、小さな建築空間を1日だけ創出します。

 将来を担う学生たちが今という時代に向き合い、この場所でできることに全力で取り組む。参加学生たちがさまざまな歴史をもつ京都の伝統を学び、この文化に位置づけた解釈を生み、仁和寺に存在し続ける建築様式に連なり、訪れた人たちの心を落ち着かせ、祈りを捧げるような空間体験と提案の発表に、どうぞご期待ください。学生たちはきっと、その若い感性によって新たな発見をし、日本のナショナリティを未来へ継ぎ、創造する提案をしてくれることでしょう。

【建築学生ワークショップとは】

 建築ワークショップとは、建築や環境デザイン等の分野を専攻する学生がキャンパスを離れ、国内外にて活躍中の建築家を中心とした講師陣の指導のもと、その場所における場所性に根づいた実作品をつくりあげることを目的としてきました。2001年度から始まったこのワークショップは過去に山添村(奈良県)・天川村(奈良県)・丹後半島(京都府)・沖島(滋賀県)などの関西近郊の各地で行われ、それぞれの過疎化した地域を対象に提案し、市や街、村の支援を得ながら、有意義な成果を残してきました。

 第10回目の開催となった2010年度より、新たに今までの取り組み方の志向を変え、一般社会にも投げかけてゆけるような地元の方たちと共同開催での参加型の取り組みとなっていくことを目指し、「平城遷都1300年祭」の事業として、世界文化遺産(考古遺跡としては日本初)にも指定されている奈良・平城宮跡で開催しました。続く2011年度は滋賀・琵琶湖に浮かぶ「神の棲む島」竹生島(名勝史跡)にて、宝厳寺と都久夫須麻神社と共に開催。無人島とされている聖地に、地元周辺の方たちと汽船で通う取り組みを行いました。

 2015年は、開創法会1200年となる100年に1度の年に、高野山・金剛峯寺(世界文化遺産)との取り組みから、境内をはじめ周辺地区での開催をし、2016年には、昭和58年11月7日に聖地・キトラ古墳で、ファイバースコープによって北壁の玄武図が発見されてから30年を経て、公開される直前のキトラ古墳と国営飛鳥歴史公園の開演プレイベントとして、キトラ古墳の麓に小さな建築を8体実現。2017年には、国宝根本中堂「平成の大改修」始まりの年に、「古都京都の文化財」の一環としてユネスコの世界遺産に登録された、京都市と大津市にまたがる天台宗総本山・比叡山延暦寺にて開催。2018年は、天皇陛下生前退位をされる前年、満了する平成最後の夏に、伊勢にて開催。 2019年は、「平成の大遷宮」完遂の年に、出雲にて開催。そして2020年、世界中が影響を受けた情勢により、開催が危ぶまれましたが、約1300年、疫病の復興を願われて建立された盧舎那仏(大仏様)のお背中で、学問の原初の聖地、東大寺にて開催を果たし、2021年は、鎮座百年を迎えた明治神宮にて開催(新型コロナ感染拡大の影響で合宿期間を2022年3月に延期)。2022年は、大鳥居・令和の大改修の年に、嚴島神社にて開催しました。

 このような日本における貴重でかけがえのない聖地における環境において、地元の建築士や施工者、大工や技師、職人の方々に古典的な工法を伝えていただきながら、日本を代表する建築エンジニアリング企業・日本を代表する組織設計事務所の方々や多くの施工会社の皆様、そして建築エンジニアリング企業の方たちによる技術者合宿指導のもと実制作を行い、地元・地域の多くの方たちによる協力のもと、原寸の空間体験ができる小さな建築物の実現と、一般者を招いた公開プレゼンテーションを行う等、これまでにない新たな試みを実施する『全国の大学生を中心とした合宿による地域滞在型の建築ワークショップ』です。

 
2022年度開催の様子(こちら → )
 



7/15(土) 提案作品講評会

1 泊 2 日にて「提案作品講評会」と「実施制作打合せ」による具体的な施工方法の検討会を開催しました。

1 日目には、各班より提案作品の発表を行い、技術者合宿指導の中心を担われる施工者代表者、そして、日本を代表される多くのプロフェッサー・アーキテクトや、ストラクチャー・エンジニアによる講評会を実施しました。 仁和寺の大林執行長様もご参加くださいました。 
   
各班長への質疑応答
  アドバイザーの皆様への説明の様子
 
   
講評者の皆様
  アドバイザーの皆様
 
 

7/16(日) 実施制作打合せ

2日目には、各班の設計趣旨と、前日の講評結果を受け日本を代表する組織設計事務所、施工会社により技術指導をいただくため、多くの技術者をアドバイザーに迎え、各班の制作準備となる素材決定や加工方法、実制作の準備や発注、試作から完成に向けた具体的な施工方法の検討会を実施しました。前日から講評者の皆様も残ってくださり、ら再度練り直した案をクリティークしていただき、活発に議論を交わすことができました。 

   
1班への制作アドバイス
  2班へのクリティーク
 
   
3班の制作アドバイス
  4班への制作アドバイス
 
   
5班への制作アドバイス
  6班のクリティーク
 
   
7班へのクリティーク
  8班への制作アドバイス
 
   
9班へのクリティーク
  10班の制作アドバイス
 

7/1(土) 各班エスキース 東京会場(東京大学)&大阪会場(平沼孝啓建築研究所)

各班の作品のクオリティを高める目的で始まった取り組みとして「各班エスキース」を開催させていただきました。東は東京大学・腰原研究室にて、腰原先生、櫻井社長、長田先生がご参加くださり、西は平沼孝啓建築研究所にて、陶器先生、芦澤先生、片岡先生、平沼先生がご参加くださいました。会場間をskypeで中継し、先生方より、提案作品への貴重なご指導を賜りました。

 
 
東京会場の様子①
  大阪会場の様子①
 
東京会場の様子②
  大阪会場の様子②
 
東京会場の様子③
  大阪会場の様子③
 
東京会場の様子④
  大阪会場の様子④

6/10(土) 現地説明会・調査

 現地にて、各計画候補地の視察と調査を行い、課題テーマに対するコンセプトを発表しました。
 はじめに主催者より、開催概要、経緯、開催地の説明を行い、開催テーマを発表しました。仁和寺執行長大林様にミニレクチャーをいただきました後、仁和寺の金崎様より実際に境内をご案内いただき、境内の歴史・伽藍配置、年間を通してのおまつり・法要についてご教授いただきました。その後、現地視察を経て各班の計画地を決定しました。後半では現地説明を行い、神聖な地において、何を表現し、伝えたいのか、そのための手法や方法を検討し、具体的な提案まで構想を進め、後半より駆けつけてくださいました、腰原先生、櫻井社長、長田先生、佐藤先生、平沼先生をはじめとする構造家、建築家の皆様より、コンセプトワークをご指導いただきました。

集合写真
 
仁和寺執行長・大林様によるミニレクチュア
  仁和寺財務部管財課、財務部拝観課課長・金崎様よりご挨拶
 
金崎様による計画地(境内)ご案内
  正式参拝
 
現地説明会の様子
  各班のコンセプトメイキングの様子
 
各班のコンセプトメイキングの様子
  各班で決定したコンセプトの発表


【開催記念 説明会・講演会】
ワークショップの参加募集の説明会と、開催を記念して活躍中の建築家にレクチュアしていただきました。

東京会場 
東京大学(弥生キャンパス)

農学部
弥生講堂アネックス

東京メトロ南北線「東大前駅」徒歩3分
東京メトロ丸の内線・大江戸線「本郷三丁目駅」徒歩10分

5月11日(木)18:30-20:00(18:00開場)
入場無料|定員: 先着100名|要申込


基調講演 五十嵐太郎(建築史家・建築批評家)
1967年生まれ。1992年、東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。現在、東北大学大学院教授。あいちトリエンナーレ2013芸術監督、第11回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展日本館コミッショナー、「窓学展ー窓から見える世界ー」「インポッシブル・アーキテクチャー」の監修を務める。第64回芸術選奨文部科学大臣新人賞、2018年日本建築学会教育賞(教育貢献)を受賞。『ル・コルビュジエがめざしたものー近代建築の理論と展開ー』(青土社)、『モダニズム崩壊後の建築ー1968年以降の転回と思想ー』(青土社)ほか著書多数。

 

●ひとことコメント 
講評者として参加していただいている視点から建築学生ワークショップの魅力についても5つの点にまとめてご紹介いただいた。まず普段では絶対に建てられない歴史建築のそばに建築の実現が出来ること。次に、聖地において普段は容易に立ち入ることが出来ない場所で聖地関係者の方々から直接話を聞き、学ぶことができること。また模型や提案だけではなく実寸のスケールで建てることでリアルな空間体験ができること。セルフビルドで材料の重さや強度を体感する経験は人生を通した大きな糧となる。そして学校や学年が全く異なるグループが構成され、共同体験を学べること。最後に特筆すべきなことは、講評者に多種多様な視点があることである。毎年、建築に直接関係する分野だけでなく、美術評論家や社会メディアを代表する方などの様々な視点から議論が交わされる。特に学内の教育プログラムでも類を見ない構造系のクリティークがあることが魅力である。構造が批評軸に含まれることが特異な点であり、本ワークショップにおいて大変楽しみにしているとお話くださった。本ワークショップは参加する学生にとって「興味を追求すること」を体現する場である。仁和寺の長い歴史に受け継がれてきた背景や風土を読み解き、歴史に応答する小さな建築を実現してほしい。

アートアンドアーキテクトフェスタ/杉田美咲(畿央大学4年)
宮本勇哉(神戸芸術工科大学 修士2年)奥西真夢(東京理科大学 修士1年)

京都会場
京都大学(吉田キャンパス)
百周年時計台記念館
国際交流ホールIII

文学部 第3講義室
京阪本線「出町柳駅」徒歩10分
京都市営バス「京大正門前」または「百万遍」下車 徒歩10分

5月16日(火)18:30-20:00(18:00開場)
入場無料|定員: 先着100名|要申込


基調講演 平田晃久(建築家)
1971年大阪生まれ。97-05年伊東豊雄建築設計事務所勤務。05年平田晃久建築設計事務所設立。現在、京都大学教授。第13回ベネチアビエンナーレ金獅子賞(日本館)、日本建築学会賞など多数を受賞。また、バウハウス(ドイツ)、ハーバード大学(アメリカ合衆国)、Architecture Foundation(イギリス)等で講演。そのほか、東京、ロンドン、ベルギーなどで個展、MoMAにて”Japanese Constellation”展(2016)を合同で開催。ミラノサローネ、アートバーゼル等にも多数出展している。

 

●ひとことコメント 
平田先生の「学生時代は種になるような考えが生まれる時」という言葉がとても印象的であった。未来に繋がる発見や考えが種ならば、私たち学生は雑誌やSNSを通じて咲いた花ばかりを見ていることが多いのかもしれないと感じた。つい綺麗な花(完成形)に目を向けてしまうものだが、そこでどんな種(発想)から花が咲いたのかという繊細なところを想像することで発見や考えが未来に繋がり、その花の過去いわばそのものの歴史を知ることができると考える。いろんな物事の種になるような考え方を学生時代に見つけられるように心がけたいと思った。本ワークショップは、素材の重さや手触りを体感できる機会である。1/1に近づく程大きな問題に直面し小さな模型ではわからなかった問題点が見えてくる。参加学生にはとにかく早く1/1に近い模型を制作してもらいたい。固定概念に捉われず、そこにしかないもの、そこでしか感じることができないような考えを転換させて特別なものを提案できると、新素材や新構造でなくても、人を感動させられるものができるのだと体感することができると思う。歴史や風土を読み解き建築を設計していくだけではなく、しっかりその建築が未来にどうあるべきか、何のために建てるのかを予測し提案することで、その建築から経緯や役割が感じられ、人から必要とされるものになるのだと感じた。

アートアンドアーキテクトフェスタ/森本将裕 
宮本勇哉(神戸芸術工科大学 修士2年)杉田美咲(畿央大学 4年) 森山舞優(京都橘大学 2年)


4/7(火) アドバイザー会議

全国から応募し選出される参加学生の決定に先立ち、建築や芸術、環境やデザインを学ぶ学生(学部生・院生)らの提案・制作の指導・補助、材料提供・手配、実施におけるアドバイザー(建築技術者)の皆様に実施の交流を促すため2021年度より設けましたこの集まりは、 近い将来、我が国の建築会を担う後進に向けて、実務経験豊富な建築技術者の皆様から指導を頂戴できる、貴重な機会を共有する目的。本開催に継続的な支援をくださる、エンジニアリング企業の旭ビルウォール代表の櫻井様が先頭に立ち、近畿を中心とする建築技術者の皆様と、開催全体のスケジュールと共有し、提案作品講評会(本年:7/15土曜日)と、翌日実施制作打ち合わせ(本年:7/16日曜日)に向けて、本年の開催が始動いたしました。

アドバイザー会議の様子

 
仁和寺執行長・大林様よりご挨拶   仁和寺財務部管財課、財務部拝観課課長・金崎様よりご挨拶
 
金崎様による、境内(計画地)のご説明
  金崎様による、境内(計画地)のご案内
 
金堂での拝観と金崎様よりご説明   金崎様による、境内(計画地)のご案内
 
制作場所(広場)ご案内
  懇親会の様子

座 談 会 | “弘法大師(空海)生誕1250年”  
建築学生ワークショップ仁和寺2023

瀬川大秀(仁和寺門跡)×吉田正裕(仁和寺執行長) ×金崎義真(仁和寺財務部管財課・拝観課 課長)
× 腰原幹雄(構造家│東京大学生産技術研究所 教授)× 櫻井正幸(エンジニア|旭ビルウォール 代表取締役 社長)
× 佐藤淳(構造家│東京大学 准教授) × 平沼孝啓 (建築家│平沼孝啓建築研究所 主宰)


座談会の様子 (仁和寺 高松宮記念書院にて)






二王門


金堂


瀬川門跡と講評者の先生方

――― 全国の大学生が参加するこの建築学生ワークショップは、毎年、場所を移しながら開催してきました。歴史と場所の特性をはっきりと持つ開催地と、周辺の生活文化を合わせて調査することにより、観光として訪れるだけでは知ることができない街や地域との関わり、建築を保全していく造り方の技にも触れ、制作を含めた実学としての地域滞在を叶えます。神聖な場所の静粛な空間からコンテクストを見出し、現場で建築の解き方を探るきっかけを経験していきます。
 仁和寺の歴史は、仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。慶応3年(1867年)、第30世 純仁法親王が還俗したことにより皇室出身者が住職となる宮門跡の歴史を終えます。また、明治20年(1887年)には御殿群の焼失がありましたが、大正時代になると再建。昭和時代に入ると、仁和寺は真言宗御室派の総本山となり、近年では平成6年(1994年)に古都京都の文化財としてユネスコの「世界遺産」に登録され新たな歴史を刻んでいます。境内には五重塔や二王門など江戸時代に建立された建造物が並びます。 同時期に植えられたとされる御室桜は4月中旬に見頃を迎えますが建物と同様、 当時と同じ姿を現代に伝えています。

 本日は開催地として多大なご尽力をくださいます仁和寺にて、全国の参加学生にむけて導きをくださる、瀬川門跡様をはじめ、吉田執行長にもご参加をいただき、この建築ワークショップを初年度から見守り続けてくださる、東京大学の腰原先生、佐藤先生、そして毎年、私たちと併走したサポートをくださいます、旭ビルウォールの櫻井社長と、オーガナイザーの役割を担い続けてくださいます、建築家の平沼先生にお話しをお聞きしながら、弘法大師(空海)生誕1250年に合わせた仁和寺開催についてお伺いしたいと思います。皆さま本日はどうぞよろしくお願いいたします。

平沼:仁和寺の伽藍や歴史の特徴的なお話をお聞かせいただけますか。

瀬川:境内の南東には現在御室会館という宿泊施設がありますが、平安時代には八角円堂という、名前の通り、八角形の形をしたお堂が建立されていたのです。このお堂は仁和寺の第一世である宇多法皇がご自身の祈りの場、念誦堂として仁和寺とは別に建立したものです。宇多天皇は父帝である光孝天皇の供養をするために仁和寺をお建てになりましたが、その後天皇は醍醐天皇に譲位されて、ご自分は出家されたのです。今で言うと政治も全てされていた方が、出家をした訳です。そして東寺の益信という、弘法大師(空海)のお弟子さんから灌頂を受けます。灌頂とは僧侶となる儀式ですが、その灌頂を授かり、仁和寺の第一世となられるのです。天皇が出家をされ、住職となられた寺院、というのが仁和寺の一番の特徴です。これが後に筆頭門跡寺院と呼ばれる所以ともなるのです。

腰原:建物がどうやって長く用いられ続けてきたかいうことに着目することも一つのテーマなのですが、仁和寺では御所の建物が移築されていますね。なぜ御所から移築されてきたのか、また移築されてきた後どのように維持されてきたのでしょうか。

吉田:仁和寺は応仁元年(1467年)から始まる応仁の乱では西軍の駐屯地だったのですが、応仁2年(1468年)9月4日に東軍に攻められ、その時にお堂が全て焼失しました。その時、二王門の南の双ヶ丘という丘の麓にある真光院という寺院に皆を避難させて仏様とお経と書類を守り、そこに仮御所を設けて、170年近く4代の御門跡様が早く復興したいと願われました。そして江戸時代に入り、1640年代、時代は徳川3代将軍家光の時ですが、家光が二条城を修復され江戸から京都に来られる際、第二十一世門跡、覚深法親王様が仁和寺の再建をお願いに行きました。当時のお金で24万両、今で言うと1両が約12万ですから約312億円かけて今の建物が全部完成しました。その時、御所の方でも紫宸殿を始め大きい建物を建て替えるため、筆頭の門跡寺院なので仁和寺さんに紫宸殿を移しましょうと本堂として使わせていただいているんです。宇多天皇がお住まいになって、御室御所という名前がつき、それから30代に亘って天皇家の方々が門跡をされておりますので、御所という建物を仁和寺の方へ移して守っていくというのも一つの使命としてお考えだったのではないかと思います。

佐藤:当時は、京都のどこにお寺や神社があって、どういう意図で西山につくりたいと光孝天皇が仰ったのでしょうか?例えば立地的に御所に対して西の方にはあまりなかったとか。また維持していくために傷みやすい箇所や、木造の建物のどこが腐りやすいとか、何か対策をされていたり、専門の職人さんがおられたりということはありますか?

吉田:そうですね。西の方にはほとんど建物もなかったんだろうと思うんですね。昔は小松野と言われて、松がたくさんあった場所に建てられたと言われています。西山の方からは京都市内が一望できますので、見渡せる場所として選ばれたのではないかと思いますね。

瀬川:境内は北に金堂、南に二王門を構えており、北から南にかけて緩やかな傾斜地である地形を利用して盛り土ではなくて、地盤を削って境内を造成した形跡が見られます。また、堅牢な地盤であることから、今日まで、地震にも耐え、安定的に建物が存在していることを鑑みれば、堅牢な地盤であることが推定されます。この度、370年ぶりの観音堂修理では、地盤面の確認も行いましたが、良い地盤に建立していることが報告されております。その当時知っていたのかどうか・・・。

佐藤:地盤が良いところを昔はどうやって感じられたのでしょうね。

瀬川:それは、現在が過去によって形成されていることを考えれば、今後の科学的な調査や、歴史的調査が進むことによって、謎が解けるといいましょうか、地盤を削っている関係か否か不明ですが、湧き水にも恵まれ、境内には多くの井戸が点在しています。衛星管理や庭園の構成に不可欠な水の重要性を意識していたのでないでしょうか?

佐藤:水は湧いて出るけれどもはけやすいという状況と、おそらく通気性にかなり配慮した建物のつくり方をされて何百年も維持できるようにされているんだと思います。

瀬川:私共の用語で井戸のことを閼伽井戸と申しまして、仏事などで用いる折に汲む水なんです。境内は傾斜地の地面を削って盛り土をして造成しているんです。現在の御殿庭園の建物床下を見ると、庭園構成の関係から池や水路が設置されている辺りは比較的湿度が高いところもございます。床下なども高くはなっておりますが、部分的に腐食が進んでいるところも見て取れます。

佐藤:水路がはっきりしているということですね。建物のここが特に痛みやすいということはないですか?そちらが地形的にも低い方ですか?

瀬川:高低差は、国宝金堂と二王門では10mくらいあります。水は高いところから低いところに流れますので、境内の南に面する建物で庭園の構成要素に含まれる建物が湿気などの影響を受けやすく、傷みは顕著です。

腰原:修理には決まった大工さんがいらっしゃるんですか?

瀬川:江戸時代の仁和寺復興に携わった時の大工さんは、江戸幕府の大学頭であった中井家です。平成の観音堂大修理では、京都府文化財保護課が抱える宮大工にお願いしています。観音堂を370年ぶりに修理計画で重視された一つに、地盤の歪みを補正する課題がありましたので、東京駅の再開発と同じ工法である【あげまい】という構法よって地盤調整を行うことになりました。

櫻井:私は実は京都の北区で生まれ、10歳くらいまで京都で育ちました。50年ぶりに見るものというのは全て新鮮です。世界遺産に登録されていると外国の方がたくさんいらっしゃいますが、防犯、防災、災害でお困りのことはありませんか。

瀬川:仁和寺も近年では 平成5年(1993年)に御影堂や金堂など三棟が放火にあいました。その時にはやはり防災と火災報知器が作動し小火で済みましたが、やはりきちんとしておかないといけないと感じました。実は今ちょうど防災設備の工事をやっているところなんです。 境内には消火設備や自動火災報知設備があるのですが、令和2年度(2020年)より二か年計画で再整備を行っております。金堂、御影堂、霊明殿の三か所が同時に発火した際、自動火災報知器がついていたので初期の段階で火災を感知し、躯体に広がる前に消火することが叶ったため、部分取り替えで済みました。過去にはテロの対象となっている寺院ですので、消火設備や訓練の充実を図ると共に、消防行政からご指導いただいている寺院でもあります。

佐藤:昔は火災や自然災害に対してどういう対応をしていたのでしょうか?

瀬川:昔は火事が起こると建物を壊していくと伺っております。火事に関する記述は資料としては確認されておりませんが、台風など風が強い時は開けた方が良いという言い伝えもあります。

平沼:なるほど。応仁の乱の全焼から再建されて、二王門や五重塔を建立された後の落雷による焼失、または逆に建造物の数が江戸時代から増えたものなどはあるのですか?

瀬川:落雷は最近も多いですね。

吉田:お堂は変わっていませんけど、霊宝館や会館とか新しい建物は増えてきています。

佐藤:私は京都の洛西高校出身なんですけれど、京都だと煤けた柱をふく職人さんがおられますね。先ほどもお庭で苔か何かを摘み取っていた様子を見たんですが、それが特徴的だと思ったんです。材料を考えたり、形を考えたり、そういう職人さんがおられるならこんな表面の仕上げができるのではないかなど、ごく些細なことでも何かあると学生たちがつくるものを考える時の良いきっかけになると思うのですが。

瀬川:我々の感覚は新しいものにすればいいという、柱でも部分的に傷んでいるから、もし半分腐食していても新しいものにという感覚であったので、やはり古いものを活かしていくことはすごいことですね。腐食しているところを埋めて活かしていくという、補助的に新しい木を使っていくという発想が正しいということが一番勉強になりました。腐蝕させ、色をうまく仕上げて分からないようにしていくという技術など、古いものと新しいものとの調和と言うんでしょうか。

腰原:古い柱に新しい材を補修する時に古い色に塗るか、新しく足したから時代を刻むために塗らない方が良いのではないかということで最近議論が分かれるんです。文化論的な価値観で、せっかく本当に時間を積み上げてきた木と後から最近つけたものをわざわざそれに合うように色を塗るのは良いのかという議論です。過去から引き継いでいるものと新しく加えたものについてはどういう感覚をお持ちなんでしょうか?

吉田:私は古色仕上げをした方が目立たなくて仕上がりが良いのでそちらの方が好きです。でも観音堂はそのままでしたよね。

金崎:この度の観音堂修理では、古色仕上げになっております。

腰原:外側は1年くらい我慢すると大体馴染んでくるのですが、内部だと目立ちます。そういうのを継ぎはぎと思うか、文化と思うか、技術と思うかというところなんですよね。

平沼:境内の中では大工小屋みたいなところに技官の方がいらっしゃるんですか?

金崎:観音堂修理の折には、工事期間中に駐在所を設けて常駐いただきました。

佐藤:植物の手入れはどうしているんですか?

金崎:庭師さんに年間を通じて見ていただいています。

腰原:御室桜などもありますし、生け花の御室流もあるわけですけど、植物と建築と宗教というのは何か特別な捉え方があるんでしょうか?

瀬川:御室流華道の理念は、宇多法皇のお気持ちを表現するための一つの手段であり、布教でもあり、お花を通じて仁和寺に伝わる教えを感じていただくことです。そして、西山の麓に自然を生かす形で、宇多天皇は仁和寺諸堂を建立し、また、境内の一角である八角円堂に於いては、天皇家と人々の幸せを祈る場所として建立したと解釈しております。

腰原:自然の樹木と建物の関係を捉えた時に、ここからの景色を大事にしているようなところはあるんでしょうか?

吉田:仁和寺の一番の特徴は二王門を入って金堂までの直線が300mくらいある参道だと思いますね。下から見てもすごいし、上から見ると全部が見渡せる。御室桜をバックに五重塔と観音堂が見えますし、御殿の中ですと第百十九代光格天皇のお好みの茶室飛濤亭を庭の借景に入れても素晴らしいです。

佐藤:仁和寺には創建当時から継承されている歴史や文化などはあるのですか?

瀬川:過去に遡ると、仁和寺の境内は2キロ四方に境内地を所有し、鎌倉前期には70の寺院が点在していた建立されていたと記録されております。平城京から平安京、現在で言うところの奈良から京都へ都が移り、大陸的な文化からわが国の文化、国風文化が、宗教においても新しい波、新しい仏様のお姿を生み出しました。仁和寺の創建当時の本尊である阿弥陀如来は、国風文化を示す仏様として大変すばらしいといわれているのです。仁和寺は広大な敷地と寺院を有し、日本の文化の基礎を築いた場所だと捉えております。天皇様が出家し、入寺した関係から、皇族の方が歴代住職を務め、多くの文化人や芸術家が集まったことから、ここがサロン化し仁和寺を中心とする文化芸術が花開いた場所でもあると考えています。例えば、仁清といった御室焼や、狩野派の絵師なども仁和寺を訪れております。

吉田:宇多天皇様が10年間天皇を勤められた時に後押ししたのが菅原道真なんです。その時に遣唐使の派遣を中止しました。当時は中国が乱れていたので行っても十分な成果がないと、国風文化を高められた。そこで建物も純和風の建物をつくっていったと言われています。だから仁和寺が再建された時も、昔の国風文化の建物の形で、一層から五層の屋根の幅がほとんど変わらない大変美しい五重塔を再建されています。二王門は京都の三大門(南禅寺・仁和寺・知恩院)の一つで、知恩院さんと南禅寺さんは禅宗様式で二層に仏様を祀り、両方から階段で上がれるようになっていますが、仁和寺の二王門は一層に金剛力士像がいて二階に上がれませんが、本当に美しい。全ての建物が国風文化の純和風の建物になっているのが特徴ですね。

瀬川:建築もシンプルで、国宝金堂の屋根形状は調和がとれていると感じており、究極の美、線の美しさを追求されたものと考えております。仁和寺の雰囲気が全部含まれるような感覚にさいなまれます。

平沼:天皇陛下が出家をされて、筆頭門跡寺院、いわゆる仁和寺御所としての存在があるゆえに、地域の一般の生活者との関わりがあまりなかったのかなと見受けられるんですが、住まわれている周辺の方達との関わりはこれまで多くあったんですか?

金崎:仁和寺が再興されてからですが、皆さんに来ていただこうと桜を植えたり、四国の八十八ヶ所霊場を模したお堂を建立しているようです。

吉田:今から196年前、第二十九世であった済仁法親王さんが寺侍の久富家さんに四国へ行って砂を集めさせて、仁和寺の裏山、成就山に88の御堂を建て、そこにお砂を納め御室八十八ヶ所というのをつくらせたんですね。昔は御四国に行くというのは命懸けで、白装束を着てお参りをされていたんです。そこで京都の人にも身近にお参りをしていただきたいと、裏山に写しの八十八ヶ所霊場をつくられた。今は台風でだいぶん荒れたため、6年計画で整備事業をしています。最近は皆さんに親しんでいただこうとライトアップをして公開し、地域の自治会単位で来ていただいたりして少し近くなったね、と(笑)。

腰原:花道や境内など、自然と建物が宗教としても大事にされていると思います。学生にはやはりここに欲しいもの、あるいはここに相応しいものが何なのかを考えてもらいたいと思っています。自然の中で手に入る材料や、このお寺にまつわる素材で何か思いつくようなものはありますか?ここから出てきたものでつくって、自然に戻すということが1つのテーマでもあるんです。

吉田:ここは小松野と言われた松がたくさんあった場所ですので、まず松がありますし、今は桜を植えましたから桜が関わってくるのではないのかなと思います。先ほど言いました御室八十八ヵ所の山に、台風で倒れた木がまだたくさん残っていて持ち出せていないんです。

佐藤:使わせていただけるなら学生たちに取りに行かせます。

一同:

平沼:仁和寺としてはどんな提案を求められますか?

吉田:先ほど御門跡様も言われていましたが、第一世宇多法皇のお寺への思いが祈りであること。また、御所の紫宸殿を移築し、仁和寺の金堂となった。御所といえるべき建物をテーマにできると思います。

佐藤:場所ごとのそこに込められた思いみたいなものを学生たちが伺った時にお話いただけると、学生たちの発想を膨らませる良いきっかけになると思います。

櫻井:京都は、多くの無形、有形文化財を有しており、日本文化の中心ともいえます。京都開催に於いて、世界遺産に登録されている仁和寺で最初に開催できるのは光栄な事である思っております。仁和寺で開催する意味を、宗教的、歴史的な側面からとらえ、本ワークショップのテーマ設定が叶えば幸いかと考えます。

瀬川:仁和寺の金堂は真北に建っており、金堂の上空に北極星が見えますので、金堂に向けてカメラの露出を明けて撮影を置くと開けておくと北斗七星が円になります。五重塔は胎蔵界五仏といって、東の位置にする仏様を安置しています。そして観音堂が西の方に立っている。だから仁和寺の伽藍は宇宙を表しているのではないかという話が出たこともあるんです。そういう説も含まれている建て方なんですね。

佐藤:成就山御室八十八ケ所霊場を巡るのはかなり時間がかかりますか?

瀬川:歩いて2時間弱くらいです。

平沼:学生たちが最初のフィールドワークをさせだく時に是非そういう機会をいただければと思っています。

(令和3年4月16日 仁和寺 高松宮記念書院にて)

         
――― 大変貴重なお話をいただき、本日はどうもありがとうございました。将来、この場所で開催した意義に継いでいくような提案作品を募りたいと思います。

聞き手:宮本勇哉 (AAF│建築学生ワークショップ2023運営責任者)


 


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