8/28 公開プレゼンテーション
- 概要
- 提案作品講評会・
実施制作打合せ
- エスキース
- 現地説明会・調査
- 記念講演会
- アドバイザー会議
建築学生ワークショップ
宮島2022
- 開催の経緯
- 目的
- テーマ
- スケジュール
- 参加者募集
今年度の募集は締切りました
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7/16(土) 提案作品講評会 |
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1 泊 2 日にて「提案作品講評会」と「実施制作打合せ」による具体的な施工方法の検討会を開催しました。 |
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1 日目には、各班より提案作品の発表を行い、技術者合宿指導の中心を担われる施工者代表者、そして、日本を代表される多くのプロフェッサー・アーキテクトや、ストラクチャー・エンジニアによる講評会を実施しました。 嚴島神社の野坂宮司様、大聖院の吉田座主様もご参加くださいました。 | |||
各班長への質疑応答 |
アドバイザーの皆様への説明の様子 |
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講評者の皆様 |
アドバイザーの皆様 |
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7/17(日) 実施制作打合せ |
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2日目には、各班の設計趣旨と、前日の講評結果を受け日本を代表する組織設計事務所、施工会社により技術指導をいただくため、多くの技術者をアドバイザーに迎え、各班の制作準備となる素材決定や加工方法、実制作の準備や発注、試作から完成に向けた具体的な施工方法の検討会を実施しました。今年は講評者の皆様も駆けつけてくださり、前日から再度練り直した案をクリティークしていただき、活発に議論を交わすことができました。 |
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1班へのクリティーク |
2班への制作アドバイス |
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3班の素材の検討の様子 |
4班へのクリティーク |
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5班への制作アドバイス |
6班の計画地での検討の様子 |
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7班へのクリティーク |
8班への制作アドバイス |
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9班へのクリティーク |
10班の素材の検討の様子 |
7/2(土) 各班エスキース 東京会場(東京大学)&大阪会場(平沼孝啓建築研究所) |
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各班の作品のクオリティを高める目的で始まった取り組みとして「各班エスキース」を開催させていただきました。東は東京大学・腰原研究室にて、腰原先生、佐藤先生、吉村先生がご参加くださり、西は平沼孝啓建築研究所にて、長田先生、陶器先生、芦澤先生、片岡先生、荒木先生、平沼先生がご参加くださいました。会場間をskypeで中継し、先生方より、提案作品への貴重なご指導を賜りました。 |
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東京会場の様子① |
大阪会場の様子① |
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東京会場の様子② |
大阪会場の様子② |
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東京会場の様子③ |
大阪会場の様子③ |
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東京会場の様子④ |
大阪会場の様子④ |
6/11(土) 現地説明会・調査 |
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現地にて、各計画候補地の視察と調査を行い、課題テーマに対するコンセプトを発表しました。 |
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集合写真
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現地説明会の様子 |
宮島観光協会会長・中村様によるレクチュア |
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参加学生正式参拝 |
改修中の大鳥居視察 |
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嚴島神社権禰宜・藤井様による計画地(境内)ご案内 |
各班のコンセプトメイキングの様子 |
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各班のコンセプトメイキングの様子 |
各班で決定したコンセプトの発表 |
【開催記念 説明会・講演会】 ワークショップの参加募集の説明会と、開催を記念して活躍中の建築家にレクチュアしていただきました。 |
京都会場 文学部 第3講義室 入場無料|定員: 先着100名|要申込 |
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基調講演 前田圭介(建築家) |
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●ひとことコメント アートアンドアーキテクトフェスタ/宮本勇哉(神戸芸術工科大学修士1年)
山本康揮(大阪工業大学修士2年) |
4/12(火) アドバイザー会議 |
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全国から応募し選出される参加学生の決定に先立ち、建築や芸術、環境やデザインを学ぶ学生(学部生・院生)らの提案・制作の指導・補助、材料提供・手配、実施におけるアドバイザー(建築技術者)の皆様に実施の交流を促すため昨年より設けましたこの集まりは、東大寺2020の開催では新型コロナによる影響により、全国へ発令された緊急事態宣言のため実施できず、昨年の明治神宮開催より初めて実施しました。 |
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嚴島神社宮司・野坂様よりご挨拶(千畳閣にて) |
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嚴島神社宮司・野坂様よりご挨拶 | 大聖院座主・吉田様よりご挨拶 |
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嚴島神社権禰宜・藤井様よりご挨拶 |
大聖院副住職・吉田様よりご挨拶 |
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講評者・アドバイザー様 正式参拝 |
アドバイザー会議の様子 |
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嚴島神社権禰宜・藤井様による、境内(計画地)のご説明 |
計画地案内 |
座 談 会 | “今、建築の、原初の、聖地から” |
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――― 全国の大学生が参加するこの建築学生ワークショップは、毎年、場所を移しながら開催してきました。歴史と場所の特性をはっきりと持つ開催地と、周辺の生活文化を合わせて調査することにより、街や地域との関わりや建築を保全していく造り方の技に触れ、制作を含めた実学として地域滞在を行い、神聖な場所の静粛な空間からコンテクストを見出し、現場で建築の解き方を探るきっかけを経験していきます。現在、嚴島神社の大鳥居は1875年の建立から145年が経過し、令和元年6月より損傷や老朽化の修理が開始されています。社殿は現在、御本社・客神社・回廊など6棟が国宝に、11棟3基が重要文化財に指定されています。平舞台(国宝:附指定)は日本三舞台の1つに数えられるほか、海上に立つ高さ16mの大鳥居(重要文化財)は日本三大鳥居の1つとなります。近現代における主要都市のまちづくりに欠かせない最も貴重となる「聖地」という歴史環境を現代にも残す清らかな場に身を置き、全国から集まる建築学生らがこの伝統的な構法に触れ、この場に位置づけた建築の解釈を生み出します。このワークショップでは場所の特性を用いるため、大きく分けて「歴史」「場所性(地形)」「近代の問題」の観点を提案に求めます。現代に受け継がれてきた嚴島神社で、空間性へのテーマや実現へのコンセプトのヒントとなる話題を、どうか併せてお聞かせください。 本日は開催地として多大なご尽力をくださいます嚴島神社にて、全国の参加学生に向けてお導きをくださる野坂宮司をはじめ、これまでこの開催実現へとご協力をくださっている宮島の皆さまにもご参加をいただきながら、この建築ワークショップを初年度から見守り続けてくださる、東京大学の腰原先生、佐藤先生、そして毎年、私たちと併走したサポートをくださいます、旭ビルウォールの櫻井社長と、オーガナイザーの役割を担い続けてくださいます、建築家の平沼先生と共に、「大鳥居・令和の大改修」完遂の年に合わせた宮島開催についてお伺いいたします。皆さま本日はどうぞよろしくお願いいたします。 平沼:593年に創建され1168年にこの大規模な社殿が整えられたと伝えられています。現代にまで続く聖地となり今もこれだけの方たちに受け継がれてきた思想と、宮島と周辺に暮らす方たちの生活文化やこの場所が選ばれた背景をお聞かせいただけませんでしょうか。 野坂:伝承によると、海で釣りをしていた土地の者に、御祭神がどこか良い所がないかという問いかけをされたそうです。そして、カラスの先導により島を見ながら廻られたのですが、その時点でこの島はもう選ばれていたと考えられます。この島自体が、神様のような存在なのですね。私がこういうことを言うのは変かもしれませんが、たまたまこの島が選ばれて、今のこの状態があるのだということかもしれません。ですから、仮にもう少し西に阿多田島がありますが、そこを神様が選ばれて神社が造られていたら、この島はただの普通の島だったと思います。 平沼:なるほど。当時の島の住民の生活文化はどのようなものだったのでしょうか?この大規模な社殿が造られた1160年頃にはもう町があったんでしょうか? 佐々木:観光課が1964年から統計を取られています。来島者は当初200万人ぐらいだったのですが、今年が多分過去最低になりそうです。平均しますと240-250万人程度、増加の追い風になったのは大河ドラマ、「新平家物語」の時に、270万人で、「毛利元就」も312万人くらい。それで過去最大の昨年は465万人ですね。1995年の阪神淡路大震災で一旦減少しましたが、次の年の1996年には宮島が世界文化遺産に登録され、翌年の1997年に毛利元就の大河ドラマが放映され一気に増えて、それからずっと順調に推移してきました。 腰原:明治の頃は、伊勢で作っている厳島錦帯橋マップというのがあって、やはり西に行くと厳島というイメージがあったみたいです。 野坂:参詣地として、そういう捉え方はされていましたが、神社にも昔は厳しい時がありまして、私の祖父の頃は運営がものすごく大変だったということをよく聞かされました。特に今のように交通網も発達していない頃の話です。 佐々木:昭和56年か57年くらいに、修学旅行先に宮島と平和公園が選ばれるようになりお越しになる方が増えたように思います。 野坂:はっきり言って、去年はいわゆるオーバーツーリズム状態になりかけていたんだと思います。それは町の方々がご存知だと思います。 中村:公共施設を中心に、オーバーフローでした。トイレに行列ができたり、桟橋で船舶を待つお客様の列が建物の外までつながったこともありました。神社さんも、参拝されるお客様を整理されるのが随分ご苦労されたと思います。江戸時代から徐々に嚴島神社さんへの参拝のお客様が多くなられて、旅館や、飲食・遊興の施設などが徐々に出来てきました。明治に入ってからは船舶の会社が出来て便利になり、またお客さんが増えました。ちょうど日清戦争日露戦争の時に、全国から広島に兵隊さんが集められ、海軍は呉から、陸軍は宇品から大陸に向けて出兵していきました。その時に戦勝祈願に嚴島神社にお越しになられ、また戻ってこられたらお礼参りに来られるということに伴って参道のお土産物屋なども徐々に増えてきたということのようです。 佐々木:今の広島経済大学セミナーハウス「成風館」の前に大きな桟橋の名残があります。 中村:明治33年宮島渡航会社が設立されました。 佐々木:それまでは渡し船ですね。 中村:渡し船で広島の旦那衆が厳島詣をされ、商売繁盛や家内安全を祈願された後、島の中で精進落としと称していろいろな遊興にふけられた、そういう地域の成り立ちがあります。 腰原:神社としての船の入り口はどこにあったのでしょうか? 佐々木:おそらく大元神社のあたりですね。 腰原:儀式として偉い人が地位のある方々が来る時のルートはあったんでしょうか? 藤井:平清盛公の時代に、高倉上皇がいらっしゃっているのですが、その時は有之浦、今の石鳥居の向こうにまず船を着けられています。そこから社殿の西側に建てられた御所へ船で入られました。渚に廊を造って、船から直接その御所に入れるような形だったようです。そこから神社の北の浜を通って、現在の入口の方から建物に入られ、客神社、御本社の順にお参りをされたという記録が残っております。 佐藤:海や気象とお社に何か関係があったりしますか?海の生態系や、森の植物などとの関係の中で、普段なさっている工夫みたいなものはありますでしょうか? 腰原:満ち引きに対して、どう接しておられるのかとか。 野坂:自然の流れに任せています(笑)。現実的なお話をしますと、潮に冠水してしまうと参拝者の方の迎え入れができなくなるので、その間はしばらくお待ちいただいています。 佐藤:浸水した後には、何かされるのですか? 野坂:掃除します(笑)。 平沼:でも台風が直撃したら、絶対に被害を受けるような社殿ですよね?ですから、修繕を前提に作られていたりするのでしょうか?床板を見たら、やはり隙間を開けていますものね。 野坂:板に隙間を開けているのは、修繕を前提としながらも、被害を軽減させるための構造だと思います。潮が床より上がった際に、水圧を軽減させ、かつ水を抜きやすくするためのものです。 佐藤:しかし、濡れたり乾いたりを繰り返していると、ずっと浸っているよりも腐りやすいですよね。何か、こう対策を取られているかなと思ったのですが。 佐藤:薬剤を含浸させたりということですか。 野坂:はい。今は合法的なものを注入して使っています。 腰原:災害に対して人間の知恵で対策するのが今の建築です。しかしこの立地条件になってくると、受け入れざるを得ない。それが教えなのかもしれないですが、そういう価値観というのはあるのでしょうか。 野坂:立地の環境は、受け入れざるを得ません。なされるがままですよ。 全員:ははは(笑)。 腰原:東日本大震災で考えると防波提を作って、波が来ないようにするというのが現在の価値観です。けれどこのまま、これだけ台風の被害を受けようが、こうあるべきだということで維持されていますよね。 野坂:それはやはり、国宝の指定、いわゆる指定建造物だからではないでしょうか。例えば、御本殿の周りに玉垣という塀がありますが、あれは控えの柱がただ土に入っているだけです。だから、猛烈な台風とかで抜けて傾く。修理して控え貫を入れたら抜けないのに、現状変更は認められません。 平沼:宿命的というか、儚さをここに体験しに来ている気がします。 藤井:神道、神社というのは自然の営みの中にある信仰、日本人の伝統的な価値観の中にあるものですから、そこの自然環境に添って建物が造られてきたのだと思います。歴史を見ると例えば川の流れを変えてみたり、土石流の砂を使って松原や森を造成したり、建物の構造は大きく変えられることがありませんでしたが、社殿周辺の環境を変える防災としての営みというのはありました。ただ原則として、神域としての尊厳を保ち、自然と調和するように配慮した上での話だと思います。 平沼:大きな台風や高潮も含めて、太平洋戦争もあったと思いますが、いろいろな時代を超えてきて社殿がなくなったことはないんですか? 藤井:火災で二度全焼し、鎌倉時代に再建されたのが今の社殿の基です。社殿がなくなったことはありません。常に修復、再建を行いながら現在まで維持されてきました。 佐藤:先程の斜め柱のところ以外に、頻繁に壊れるところはありますか? 野坂:どうしても弱い部分というのが何箇所かあります。我々としては、壊れるというよりは傷むという考え方です。とにかく私たちの最大の使命は、今の社殿を同じ状態のままで後世に護り伝えるということですから、傷んだら常に修繕して行かなければなりません。 佐藤:鳥居の基礎はたくさんの松杭が刺さっていたとか、その中が空洞だったという話をお聞きしたのですが、木材が傷むことに対して工夫があったのかなあという気がしたのですが、壊れるのをそんなに補強せずに使っていくような維持の仕方をされているように聞こえました。 平沼:二度焼失した時はどのように復興されたのですか? 藤井:当時の鎌倉幕府から、全て再建しなさいということでしたが、その期間が伸びてしまって、早く完了するよう再度の命令が出されて、ようやく造り終えられました。 櫻井:床に使っている木は何の木ですか? 野坂:今は松です。 藤井:基本的には地元にある木材を使うべきなのですが、時代と共にそれでは賄えなくなって、色々な所から集められています。 櫻井:昔台風の後に床板が取れたと聞きましたが。あえて浸水させるということでしょうか。 腰原:一応浮力がかからないように隙間が空いていて、浸水させてしまうということです。 佐々木:石なら大元神社のまわりにいくらでも、海の中でもありますね。 佐藤:直接的な関係としては、筏のようなものを浮かべてその上に学生たちが構築物をつくるという時に、筏を係留しておくために、石の重りを沈めておければ、係留しておけるたり、重石に使うというようなことも考えられるかなと思うんです。 腰原:そもそも境内という概念はどこにあるのかなと不思議に思っているのですが。 野坂:いわゆるお金をお預かりするようになった際に、入口は定めなければならなくなりましたが、神社の歴史の中で言うと最近のことです。それ以前は、極端な話どこから入られても、一切咎めないということでした。 腰原:本当はどこから入ると良いんでしょうか?子どもの時はどこから入るのが一番楽しかったですか? 野坂:子どもの時は海からでもどこからでも入りました(笑)。しかし、島の人は良くても島外から来た人は駄目というのは、今は通用しないですよね。ですからみんな平等に、同じように入ってくださいということにしています。そういう風にせざるを得ないと思います。 腰原:地域の方々は、神社をどのように見ていらっしゃるのでしょうか? 佐々木:やはり、島民全員が嚴島神社の氏子ですから、昔から神社が栄えることによって私たちも栄えるという観念を持っています。 佐藤:そもそも、どうして大鳥居が海の中に建てられたんですか? 佐々木:くぐって神社の西側にある洲などに船を着けていました。 中村:もともと島自体が神様なので、この神社も島の上ではなくて砂浜の上に建てられています。 野坂:明治神宮に行かれる時も2箇所か3箇所参入口がありますよね。それぞれ鳥居が立っていませんか?それと同じ解釈だと思います。動線ですね。動線を導くにあたってここから来てくださいと言う意味です。ここから先は心静かにと意味で鳥居を間際ではなくて離れたところに作ったという解釈です。 中村:島は神様なので、昔は農耕も禁じられていていました。神様の体に鍬をうつことになりますので。戦後に食料不足になって、島の両端に畑とかを作って農業しはじめたのですよね。 平沼:全国の学生たちが、建築を学び、造営や、修繕も修復も含めて繰り返している場所にやっぱり興味をもっています。若い人たちが嚴島神社のようなところに敬意を持って取り組んでくれると後に継いでいけるのではないかという思いで開催しています。 櫻井:今ちょうど、大鳥居の修復をされていますが、資料には過去にこんな修繕をして、実はそれが失敗だったからやり直したとかたくさん書いてあり、挑戦と失敗の歴史を結構持っているのだなと思ったのです。ここはやはり自然環境がすごいから戦わざるを得なくて、打たれたら次はもう一回同じ打たれ方はしないようにしてきたのかなと思いました。あの大鳥居の修復の歴史を少し見るだけでも僕は面白いと思いました。 腰原:大鳥居よりも床下を見たら、試行錯誤の形がありますね。 櫻井:ちょっと潜らせていただいたら?潮が引いている時は大丈夫ですよね?そういうのを見るとすごく勉強になるんです。東大寺の二月堂に行った時に、お水取りで、昔燃やしたことがあると聞きました、火事で燃えたそうです。ちょうど木目の間に挟まってくすぶっていた火が夜中になって急に燃え出した。火は動いていないといけない、止まった火が一番危険だという教えをずっとされているらしいんです。ここは水との戦いで、火の後に水だからすごく興味があります。 平沼:でも、僕たち立派な寺社に行きたいわけではなくて、建築を学んでいますから、建築の原初の場所を回っているようなつもりでいます。一緒になって開催をさせていただけるということで、本当に楽しみにしています。 櫻井:今年はコロナという100年に1回のことで、一瞬目の前が真っ暗になりました。でも新しい問題に出くわすと人間はすごく工夫するものです。この場所で鳥居や基礎をみんなで見てみると、建築をやっている人にとってたくさん新しい発見があり勉強になりました。 (令和2年11月3日 嚴島神社 海上社殿 朝座屋にて) 聞き手:宮本勇哉 山本康揮 (AAF│建築学生ワークショップ2022運営責任者) |
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